【感想】一人称単数として滝の前 小久保佳世子
- 2016/07/26
- 23:15

一人称単数として滝の前 小久保佳世子【スローな過剰】俳句における〈滝〉っておもしろいんですよね。で、俳句をとおして〈滝〉をみたときおもしろいなと思ったのが、滝がスローになるんですね。俳句においては滝をみることが滝の時間をどんどん微分していくらしい。滝はスローになっていく。〈見ること〉が〈スロー〉にさせる。だから、最終的には、アキレスと亀みたいに滝は〈どんどん落ちることができなくなっていく〉。落ち...
【感想】木下闇せなかに触れるものは手か 近恵
- 2016/06/14
- 01:00

木下闇せなかに触れるものは手か 近恵【たそがれはだれがつくるの】『はがきハイク 女子回』(第14号・2016年6月)の近恵さんの「ぷくぷく」からの一句です。木下闇(こしたやみ)って、樹林で出来た暗がりをいうんですが、面白いなって思うのは、ふだん自明なものが「闇」を通過することによって〈おののき〉あるものになってしまうということです。考えてみると、「闇」のなかっていうのはほとんど薄暗がりで見えないわけだか...
【感想】待たされて苺の夜に立っている 田島健一
- 2016/05/30
- 01:09

待たされて苺の夜に立っている 田島健一【松尾場所】『オルガン』2号から田島さんの一句です。ときどき自分にとって俳句ってなにかを考えたときに、それはひとつの《場所論》なんじゃないかと思っているんです。すごく暴論めいたことをいうと、松尾芭蕉の「芭蕉」が《BASYO》=場所という響きをもっていたことって自分にとっては少し感慨深いというかおもしろいんですね。古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉も、やっぱり《場所論...
【感想】扇風機もっとも強きとき背中 北川美美
- 2016/05/29
- 23:06

扇風機もっとも強きとき背中 北川美美【扇風機の記号学】扇風機とはなにかって考えたときに、それはたゆまぬ反復としての記号運動といえるんではないかと思うんですね。ずっと首振りをしているわけですよね。とくにこの句にしたがえば、この句の扇風機は首振りをしていますね。もっとも強きときがあるということはもっとも弱きときもあるんだから。で、扇風機としてはおなじ位置でおなじふうに首振りをしているんだけれど、わた...
【感想】コピー本薄し八月十五日 松本てふこ
- 2016/05/17
- 13:53

コピー本薄し八月十五日 松本てふこ近代戦争の伝統からすれば、日本の終戦記念日も休戦文書調印の九月二日ということになる。これが「グローバル・スタンダード」であり、外国の歴史教科書の多くはそう記述している。 佐藤卓己『八月十五日の神話』【八月十五日というトポス】てふこさんの連作「コミケに行ってきました」からの一句です。八月十五日がメディア論の方からよく言われているのは、八月十五日というのは生成され...