【あとがき】大澤真幸『日本史のなぞ』のあとがき
- 2017/10/18
- 17:44
どのような社会にも、(不)可能性の臨界のようなものがある。その先を超えていくことがでいない、と暗黙のうちに想定されている境界線が、である。この境界線が維持されていることを前提にして、社会内の他のすべての活動がなされている。しかし、ときに、その(不)可能性の臨界の内部では、社会が直面している基本的な困難を克服できなくなることがある。このとき、(不)可能性の臨界の向こう側に出ていき、臨界を再設定するような変...
【あとがき】土屋惠一郎『知の橋懸り』のあとがき
- 2017/10/08
- 14:24
石蹴りして、私はここに。では、君は。中沢と私はそう問いかけるだろう。 土屋惠一郎「あとがき 石蹴りしてここへ」『知の橋懸り』...
【あとがき】カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』の訳者あとがき
- 2017/10/06
- 14:14
私が将棋指しになったら加藤一二三さんタイプかな、とよく思う。この方は一手一手に常に最善手を求めるあまり、序盤からいきなり長考に入って、終盤では持ち時間がなくなり、いつも「えっ、もう?」と思われる段階から秒読みに追いまくられることで知られている。序盤で一手指すのに七時間考えたこともあるそうだ。 土屋政雄「文庫版のための訳者あとがき」『わたしを離さないで』...
【あとがき】澁澤龍彦『マルジナリア』のあとがき
- 2017/09/26
- 23:49
エドガー・ポーは本を買うとき、なるべく余白が大きくあけてあるような本を買って、読みながら思いついたことを、そこに書きこむのを楽しみにしていたという。 澁澤龍彦「単行本あとがき」『マルジナリア』...
【あとがき】石原千秋『漱石と日本の近代』のあとがき
- 2017/09/26
- 10:24
漱石は漱石らしくない。この本をまとめながら、こういう言葉が頭から離れなくなった。私たちは近代そのものを見ることはできない。鉄道というテクノロジーが現れ、それが時間厳守という行動規範となったときに、近代を目にし、それを身体化したことになる。その時、私たちは近代人になったのだ。漱石は日本近代の原型となった山の手を書き続けた。そこに現れた男や女のあり方、家族や明治民法、教育や知識人、ハビトゥスや資本主義...