【感想】壁の穴にドアをとり付けしっかりと鍵を中からかけて住んでいる 山崎方代
- 2014/05/31
- 08:07
壁の穴にドアをとり付けしっかりと鍵を中からかけて住んでいる 山崎方代【寝そべる魔法使い-きょうから使える魔法入門-】短歌という短詩型において〈そのまま〉をあえてうたうと、なぜか〈ぶきみ〉な分節をもってひろがってくるということがあって、以前からとてもふしぎなだなとおもっているんですが、佐佐木幸綱さんが『詩歌句ノート』のなかでこんなことを述べています。写生という方法は、何も見るものがなくなったときに...
【感想】閉園のチャイムは遠く遠ざかる門柱あれはきりんじゃないか 久真八志
- 2014/05/30
- 12:14
閉園のチャイムは遠く遠ざかる門柱あれはきりんじゃないか 久真八志今日は死が近い気がして腿裏が便座カバーのもこもこのなか 久真八志【遠ざかるきりん 対 遠近喪失の便座カバー】久真八志さんの短歌から〈遠近〉に関係した二首を恣意的に抜き出してみました。うえの久真八志さんのきりんの短歌は、さきほどの北山あさひさんの記事にも紹介した『31』からの一首です。どちらも一読したときからとても興味をひかれていた短歌...
【感想】ロッキーロード舐めずに噛んでいる夜の私の殴るべき人たちよ 北山あさひ
- 2014/05/30
- 10:52
ロッキーロード舐めずに噛んでいる夜の私の殴るべき人たちよ 北山あさひ【アイスクリーム・ボクサー】31歳の歌人の方々がサーティーワンアイスクリームと掛け合わせて歌った『31』のなかからの北山あさひさんの一首です。いぜん、ほかにも北山さんが短歌で〈殴る〉ということばを使ってうたわれていたのを眼にした覚えがあるので、この短歌をみたときに、北山さんにとって〈殴る〉ということをめぐるモチーフがどこかにあるのか...
【感想】(自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道 雪舟えま
- 2014/05/30
- 08:19
(自転車は成長しない)わたしだけめくれあがって燃える坂道 雪舟えま【成長しない自転車と、燃える短歌の系譜】雪舟さんのこの短歌の「燃える」という部分に注目してみたいと思います。「燃える」という事象が短歌で扱われる際にそこには語り手が抱く〈ストップ〉もともにうたわれることになるようにおもいます。たとえば上の歌ならば、「(自転車は成長しない)」という語り手の意識です。「(自転車は成長しない)」とう意識...
【川柳】手話だけで…(「印象吟」『川柳マガジン』2014年6月号 佳作・加藤鰹 選)
- 2014/05/30
- 07:16
手話だけでゆっくりきみが伝わった 柳本々々 (「印象吟」『川柳マガジン』2014年6月号 佳作・加藤鰹 選)【ゆめの領域としての川柳-ディスイズアゆめ-】以前、月波与生さんの「悲しくてあなたの手話がわからない」という句の感想文を書いてみたのだが、月波さんのその句を日々かんがえているうちに、〈手話〉という非言語的コミュニケーションの独特の浸透性と非浸透性についておもう日々のなかでつくってみた句である...
【感想】墓場から出できしゾンビ先生の肋骨(あばら)の白がやさしすぎるよ 笹公人
- 2014/05/29
- 08:39
墓場から出できしゾンビ先生が土葬の危険熱く語れり墓場から出できしゾンビ先生の体の穴から覗く秋空墓場から出できしゾンビ先生の肋骨(あばら)の白がやさしすぎるよ墓場から出できしゾンビ先生よマジありがとう火葬にします 笹公人【ゾンビ先生から教えてもらったこと】笹さんの短歌の場合、おおくのサブカルチャー的記号を短歌に組み込みながらも、サブカルチャーとしての〈むこう側〉にそのまま投げな...
【感想】シャイとかは問題ではない一晩中死なないマリオの前進を見た 柳谷あゆみ
- 2014/05/26
- 22:38
シャイとかは問題ではない一晩中死なないマリオの前進を見た 柳谷あゆみ【マリオ・ゾンビ・メディア】ゲーム言説におけるゲーム的リアリズム主体が、表現としての文学言説にどんなふうにかかわっていくのかということをかんがえていることがあります。ゲーム的リアリズム主体っていうのは、いろんなふうにかんがえることができるとおもうんですが、ひとまずゲーム的リアリズムとしての「マリオ的主体」というものをかんがえた際...
【感想】片蔭のこれはマヨネーズの蓋か 荻原裕幸
- 2014/05/26
- 15:09
片蔭のこれはマヨネーズの蓋か 荻原裕幸 『週刊俳句 Haiku Weekly: 10句作品 世ハ事モ無シ』【俳句からマヨネーズへ/マヨネーズから俳句へ】以前から表現におけるマヨネーズに興味があるんですが、邪道かもしれないとはおもいながらも、マヨネーズから俳句を読んでみるとどのように読めるのかという試みとして荻原さんの俳句をマヨネーズから読んでみたいとおもいます。この句を定型に沿って区分けしてみると、「片蔭の/こ...
【感想】わたしが寝てる間にみんな何してる 地下鉄でお花見に出かけてる 永井祐
- 2014/05/26
- 12:18
わたしが寝てる間にみんな何してる 地下鉄でお花見に出かけてる 永井祐【Hさんからもらったメール-夏目漱石と永井祐-】永井祐さんのこの短歌の、「わたしが寝てる間に」という部分に注目してみたいとおもいます。〈寝る〉ってことはどういうことかというと、〈わたし〉という主体が機能不全になることだと思うんです。たとえばこの短歌の「わたし」も寝ている間は機能不全で発話できない。だから事後的に、自問自答するよう...
【川柳】鍵盤をめくってみればやわらかい
- 2014/05/26
- 08:04
鍵盤をめくってみればやわらかい 柳本々々 『おかじょうき』2014年5月号【めくれば、あふれる、なにか】以前、なかはられいこさんの「【感想】回線はつながりました 夜空です」という句について感想を書いてみたことがあるのですが、そのなかはられいこさんがご自身のブログ『そらとぶうさぎ』において私の句の評を書いてくださいました(参照:「夕日、鍵盤、しじまの袋 」)。なかはらさんのことばを少し引用さ...
【感想】前の日と同じ棺を買わされる 須藤しんのすけ
- 2014/05/24
- 14:23
前の日と同じ棺を買わされる 須藤しんのすけ【n日-1の反復】この須藤しんのすけさんの句はとても不思議な句だと思うんですが、どこにふしぎさがあるのかというと、「同じ棺を買わされる」というまったく同じ行為が反復されることによって、反復ではない場所に語り手がたどりついてしまっているのではないかというところにあるように思うんです。たとえば田崎英明さんが『ジェンダー/セクシュアリティ』のなかで「同じひとつ...
【感想】田中ましろさんのいおうええあえいああい、工藤吉生さんのアイアイオエエエエエエ、加藤治郎さんのゑゑゑゑゑゑゑゑゑ
- 2014/05/24
- 02:03
今回かんがえてみたいのは、母音短歌についてである。母音を非意味の連なりとしてつなげることによって、非意味としての意味が浮かび上がってくるという不思議な構造をもった短歌だといえる。恣意的に母音短歌を三首あげてみることとする。いおうええあえいああいと舌の無い口に背中を押されて帰路は 田中ましろ解答欄ずっとおんなじ文字並び不安だアイアイオエエエエエエ 工藤吉生にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひど...
【感想】ようわからんひとがしっこをするとこを見にきてしかもようほめる 吉岡太朗
- 2014/05/23
- 20:51
ようわからんひとがしっこをするとこを見にきてしかもようほめる 吉岡太朗【初心者になるための規律と訓練】〈標準語〉ではないかたちで短歌を詠むことをすこしかんがえてみたい。吉岡さんは独特の手書き文字で連作を掲載していたことがとても印象的であったのだが、加藤治郎さんはこの吉岡さんの手書き文字に対して「引用不可能性」を指摘していた。 この「引用不可能性」とは、あえてわたしがことばを敷衍するなら、読み手に...
【川柳】靴紐が…(第23回 朝日中部川柳大会 佳作・八上桐子 選)
- 2014/05/21
- 20:19
靴紐が結べないからわたしです 柳本々々 梅になる夢を見ている行き止まり (第23回 朝日中部川柳大会 佳作・八上桐子 選)【徳永政二さんとひとり静さんの靴紐をさぐる】八上桐子さんから上の二句を佳作として選んでいただきました。八上桐子さんが選句したものからわたしが気になった句を恣意的にあげてみます。答えですコップの水があふれます 徳永政二笑ってる顔をはめ込むだけの穴 久保田紺あの淡くなった辺...
【短歌】並びしなきみをかすめたぼくの手でなめらかに咲く満身創痍
- 2014/05/21
- 06:46
並びしなきみをかすめたぼくの手でなめらかに咲く満身創痍 柳本々々 (連作「にんげんのことば」『かばん』2013年12月号)【表現主体としてのいかがわしい〈僕〉とはなんだったのか】『かばん』2014年2月号にて温井ねむさんから次のようなていねいな評をいただいた。ぼくの手によってきみに満身創痍が咲く、つまりぼくの手できみを傷つけるという歌だろうか。傷は想像上のものだろうが、ひびやあかぎれのように小さな...
【感想】蛍光灯交換して、あ、しています 瀧村小奈生
- 2014/05/20
- 05:57
蛍光灯交換して、あ、しています 瀧村小奈生【蛍光灯交換と愛をめぐる問題として】川柳というのは脱文脈依存的な文芸様式だと思っていて、読み手がどんなふうに文脈をつくっていくのかが問われるのが川柳だともおもうんです。読み手に与えられている文脈は、たとえば作家情報、掲載メディア、連作、タイトル、評、選者、題、など、なにをどう選ぶのか、またまったくちがう文脈を呼び込むかは読み手の位置によって変わってきます...
【感想】家かしら、ここ。部屋のまま、漂流してる。梨とわたしと子猫をのせて 岸原さや
- 2014/05/20
- 05:54
家かしら、ここ。部屋のまま、漂流してる。梨とわたしと子猫をのせて 岸原さや【漂流する語り手-リビング・ルームのロビンソン・クルーソー-】岸原さやさんの歌集『声、あるいは音のような』からの一首です。この短歌のふしぎさについてずっとかんがえていました。ひとつのふしぎさは、この短歌の出だしの「家かしら、ここ」という自分に対する疑問を投げかける終助詞「かしら」のついた語り手の語りだし方そのものにあるよう...
【感想】逆光に向かってどうぞモッツァレラ 瀧村小奈生
- 2014/05/19
- 20:05
逆光に向かってどうぞモッツァレラ 瀧村小奈生【川柳におけるモッツァレラを食べる】川柳におけるカタカナの役割というのをずっと考えているんですが、たとえばうえの瀧村さんの句では「モッツァレラ」というのが下五であらわれることによって575という川柳のとても短い定型のなかでまったく違う位相を呼び込むことに成功しているとおもうんですね。ここで大事なことは、「モッツァレラ」というのが処理できないものとしてあ...
【感想】さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール 山崎聡子
- 2014/05/19
- 18:27
さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール 山崎聡子【さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ-ハローの系譜をさぐって-】山崎聡子さんの歌集『手のひらの花火』からの一首です。とても気になる短歌でずっとかんがえていた短歌です。この短歌は、上の句の「さようなら」と下の句の「さようなら」というふたつの「さようなら」から構造が成り立っています。上の句の「さようならいつかおしっこした花...
【感想】たつた二人、なのか二人で深いのか家族の闇にすわりつづけぬ 岡井隆
- 2014/05/18
- 20:48
たつた二人、なのか二人で深いのか家族の闇にすわりつづけぬ 岡井隆【語り手が語り手をそらすー言ってたろ?言ってた!ー】岡井隆さんの短歌に、「意識+叙述」または「叙述+意識」というような独特の語法があって、以前からずっとその語法のことについてかんがえているんですが、わたしがおもうに岡井隆さんの短歌における語り手は、短歌というその形式の発話中において、叙述を信じ切っていないのではないか、とおもうんです...