【感想】前の日と同じ棺を買わされる 須藤しんのすけ
- 2014/05/24
- 14:23
前の日と同じ棺を買わされる 須藤しんのすけ【n日-1の反復】この須藤しんのすけさんの句はとても不思議な句だと思うんですが、どこにふしぎさがあるのかというと、「同じ棺を買わされる」というまったく同じ行為が反復されることによって、反復ではない場所に語り手がたどりついてしまっているのではないかというところにあるように思うんです。たとえば田崎英明さんが『ジェンダー/セクシュアリティ』のなかで「同じひとつ...
【感想】田中ましろさんのいおうええあえいああい、工藤吉生さんのアイアイオエエエエエエ、加藤治郎さんのゑゑゑゑゑゑゑゑゑ
- 2014/05/24
- 02:03
今回かんがえてみたいのは、母音短歌についてである。母音を非意味の連なりとしてつなげることによって、非意味としての意味が浮かび上がってくるという不思議な構造をもった短歌だといえる。恣意的に母音短歌を三首あげてみることとする。いおうええあえいああいと舌の無い口に背中を押されて帰路は 田中ましろ解答欄ずっとおんなじ文字並び不安だアイアイオエエエエエエ 工藤吉生にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひど...
【感想】ようわからんひとがしっこをするとこを見にきてしかもようほめる 吉岡太朗
- 2014/05/23
- 20:51

ようわからんひとがしっこをするとこを見にきてしかもようほめる 吉岡太朗【初心者になるための規律と訓練】〈標準語〉ではないかたちで短歌を詠むことをすこしかんがえてみたい。吉岡さんは独特の手書き文字で連作を掲載していたことがとても印象的であったのだが、加藤治郎さんはこの吉岡さんの手書き文字に対して「引用不可能性」を指摘していた。 この「引用不可能性」とは、あえてわたしがことばを敷衍するなら、読み手に...
【川柳】靴紐が…(第23回 朝日中部川柳大会 佳作・八上桐子 選)
- 2014/05/21
- 20:19

靴紐が結べないからわたしです 柳本々々 梅になる夢を見ている行き止まり (第23回 朝日中部川柳大会 佳作・八上桐子 選)【徳永政二さんとひとり静さんの靴紐をさぐる】八上桐子さんから上の二句を佳作として選んでいただきました。八上桐子さんが選句したものからわたしが気になった句を恣意的にあげてみます。答えですコップの水があふれます 徳永政二笑ってる顔をはめ込むだけの穴 久保田紺あの淡くなった辺...
【短歌】並びしなきみをかすめたぼくの手でなめらかに咲く満身創痍
- 2014/05/21
- 06:46

並びしなきみをかすめたぼくの手でなめらかに咲く満身創痍 柳本々々 (連作「にんげんのことば」『かばん』2013年12月号)【表現主体としてのいかがわしい〈僕〉とはなんだったのか】『かばん』2014年2月号にて温井ねむさんから次のようなていねいな評をいただいた。ぼくの手によってきみに満身創痍が咲く、つまりぼくの手できみを傷つけるという歌だろうか。傷は想像上のものだろうが、ひびやあかぎれのように小さな...
【感想】蛍光灯交換して、あ、しています 瀧村小奈生
- 2014/05/20
- 05:57
蛍光灯交換して、あ、しています 瀧村小奈生【蛍光灯交換と愛をめぐる問題として】川柳というのは脱文脈依存的な文芸様式だと思っていて、読み手がどんなふうに文脈をつくっていくのかが問われるのが川柳だともおもうんです。読み手に与えられている文脈は、たとえば作家情報、掲載メディア、連作、タイトル、評、選者、題、など、なにをどう選ぶのか、またまったくちがう文脈を呼び込むかは読み手の位置によって変わってきます...
【感想】家かしら、ここ。部屋のまま、漂流してる。梨とわたしと子猫をのせて 岸原さや
- 2014/05/20
- 05:54
家かしら、ここ。部屋のまま、漂流してる。梨とわたしと子猫をのせて 岸原さや【漂流する語り手-リビング・ルームのロビンソン・クルーソー-】岸原さやさんの歌集『声、あるいは音のような』からの一首です。この短歌のふしぎさについてずっとかんがえていました。ひとつのふしぎさは、この短歌の出だしの「家かしら、ここ」という自分に対する疑問を投げかける終助詞「かしら」のついた語り手の語りだし方そのものにあるよう...
【感想】逆光に向かってどうぞモッツァレラ 瀧村小奈生
- 2014/05/19
- 20:05
逆光に向かってどうぞモッツァレラ 瀧村小奈生【川柳におけるモッツァレラを食べる】川柳におけるカタカナの役割というのをずっと考えているんですが、たとえばうえの瀧村さんの句では「モッツァレラ」というのが下五であらわれることによって575という川柳のとても短い定型のなかでまったく違う位相を呼び込むことに成功しているとおもうんですね。ここで大事なことは、「モッツァレラ」というのが処理できないものとしてあ...
【感想】さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール 山崎聡子
- 2014/05/19
- 18:27

さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール 山崎聡子【さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ-ハローの系譜をさぐって-】山崎聡子さんの歌集『手のひらの花火』からの一首です。とても気になる短歌でずっとかんがえていた短歌です。この短歌は、上の句の「さようなら」と下の句の「さようなら」というふたつの「さようなら」から構造が成り立っています。上の句の「さようならいつかおしっこした花...
【感想】たつた二人、なのか二人で深いのか家族の闇にすわりつづけぬ 岡井隆
- 2014/05/18
- 20:48
たつた二人、なのか二人で深いのか家族の闇にすわりつづけぬ 岡井隆【語り手が語り手をそらすー言ってたろ?言ってた!ー】岡井隆さんの短歌に、「意識+叙述」または「叙述+意識」というような独特の語法があって、以前からずっとその語法のことについてかんがえているんですが、わたしがおもうに岡井隆さんの短歌における語り手は、短歌というその形式の発話中において、叙述を信じ切っていないのではないか、とおもうんです...