【感想】目隠しの中も眼つむる西瓜割 中原道夫
- 2014/07/28
- 01:19
目隠しの中も眼つむる西瓜割 中原道夫【闇のなか、詠み手と読み手でするハンカチ落とし】上田信治さんの俳句で〈走る〉俳句についてかんがえてみたので、こんどは〈眼をつむる〉俳句についてかんがえてみたい。短詩型において、走る主体の俳句も珍しいとはおもうけれど、眼をつむる主体の俳句もめずらしいのではないか。たとえば飯田龍太さんがこんなことをいっている。私は、写生とは、見つめて目を離さないことじゃないかと最...
【あとがき】村上春樹『ノルウェイの森』のあとがき
- 2014/07/27
- 14:12
僕は原則的に小説にあとがきをつけることを好まないが、おそらくこの小説はそれを必要とするだろうと思う。まず第一に、この小説は5年ほど前に僕が書いた『蛍』という短編小説が(『蛍・納屋を焼く・その他の短編』に収録されている)軸になっている。僕はこの短編をベースにして四百字詰め3百枚ぐらいのさらりとした恋愛小説を書いてみたいとずっと考えていて、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の次の長編にと...
【感想】今走つてゐること夕立来さうなこと 上田信治
- 2014/07/26
- 13:11
今走つてゐること夕立来さうなこと 上田信治【走れメロス(以外も)】さいきん、ジョギングをしながら短詩型文学と〈走る〉ことについてかんがえていて、実は短詩型文学について〈走る〉という行為は詠まれることはあっても語る主体としての自身が〈走る〉ことは回避されているのではないか、もっといえば、ひとが走るのを〈み〉ているのは好きなのだけれど、いま語っているじぶんが〈走り〉ながら語るのはいやなんではないか、...
【感想】天帝の手紙静かなホバリング 飯島章友
- 2014/07/26
- 02:02
天帝の手紙静かなホバリング 飯島章友【重力と恩寵】天帝とは、辞書的な意味では「古代中国で,宇宙の万物を支配すると考えられた神」である。だから、あえていいなおすならば、天帝とは、なにもかもに〈意味〉をあたえる〈超越的審級〉としてある。その超越的審判級が書いた「手紙」であることが重要だ。なぜなら、すべての意味表現に意味内容を充填できるはずの「天帝」にとって、意味表現と意味内容の過誤を埋め合わせるため...
【感想】天の川ここには何もなかりけり 冨田拓也
- 2014/07/26
- 00:28
天の川ここには何もなかりけり 冨田拓也【なんにもない旅、なんにもある旅】この俳句をはじめてみたときすぐに頭に浮かんだうたがあったんです。それが永井祐さんのつぎのうたです。ふつうよりおいしかったしおしゃべりも上手くいったしコンクリを撮る 永井祐で、冨田さんの句と永井さんの歌にはじつは奇妙な類似があるのでないかというのがわたしのかんがえです。まず、冨田さんの句なんですが、「天の川」という記号として...
【感想】荻原裕幸『歌集 デジタル・ビスケット』―デジタル・メディアを食べた歌集―
- 2014/07/25
- 12:58

永田和宏さんの歌にこんなうたがある。熟ヾ(つくづく)とそのさびしさを辿りきて全歌集そろそろ死に近きころ 永田和宏この歌からわかるのは、歌人にとって「全歌集」とはある意味、「死に近き」〈晩年〉の表象でもあるということである(ちなみに「全歌集」を流れる〈時間〉に着目した永田和宏さんのエッセイに「全歌集の〈時間〉」『新樹滴滴』がある。高安国世さんの「全歌集」について述べたものではあるが、今回のわたしの文...
【感想】行ったきり帰ってこない猫たちのためにしずかに宗教をする 山中千瀬
- 2014/07/25
- 05:42
行ったきり帰ってこない猫たちのためにしずかに宗教をする 山中千瀬【猫たちをする。喪失をスル。】とてもふしぎでこわくかつせつじつにもかかわらずほわほわした感じのする歌だとおもうんですが、この歌のポイントはわたしは結句の「宗教をする」にあるとおもうんです。この歌で大事なことは歌のなかで語り手はいなくなった猫たちのために「宗教」をしているんですが、ところがそれが「お祈り」や「呪い」といった具体的行為と...
【感想】春は曙そろそろ帰つてくれないか 櫂未知子
- 2014/07/24
- 23:24
春は曙そろそろ帰つてくれないか 櫂未知子【さよならできないイイネ!主体】きのう書いた感想文の飯島晴子さんの句「葛の花来るなと言つたではないか」と対になるような句である。飯島さんの句は〈来る〉行為としての侵犯だったが、櫂さんの句は〈いる〉行為が侵犯になっていくようなベクトルをもった句である。坪内稔典さんが、この「春は曙」の時間は清少納言の時代の文脈において、〈夜明け〉としての恋人との別れの時間であ...
そらとぶあとがき
- 2014/07/24
- 20:11
なかはられいこさんがご自身のブログで角田古錐さんの句評としてこんなことを述べられていた。駅弁を開けば戦艦大和かな 角田古錐(……)わたしはナンセンスなんていう括り方はあんまし信用してないんです、実は。ひじょうに細いものであっても、作者の深層のふかいところに眠っていても、意味というか関係性みたいなものが<無い>わけがないと思うんですよね。理屈では説明できないだけで。<無い>のは理屈であって、意味=関...
【感想】葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
- 2014/07/24
- 00:21

葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子【こんなに遠くまで来てしまった。誰が?】「葛の花」を〈異界的な花〉だと表現していたひともいるんですが、それって荒れ地や深い山の奥なんかでもまるでその場を〈異化〉するかのように咲いているからなのではないかとおもうんですね。ただその場を〈異化〉するような「葛の花」としての季語の上五が以下の七五と同調しつう抵抗しあうのではないか、というのがこの句のおもしろさであ...