【感想】ひらがなの名のひととゆく花野かな 松本てふこ
- 2014/08/31
- 01:12
ひらがなの名のひととゆく花野かな 松本てふこ 【花野、この素晴らしき世界】花野、ってちょっとふしぎなことが起こる場所なんですよね。秋の草花が咲く、これから冬がくるようなどこか荒涼とした野原のことを花野というんですが、川上弘美の「花野」という短編のような〈死んだおじさん〉と会い続ける物語のように、なぜか花野ってふしぎな場所が起こる出来事として設定されていたりするようにも思います。もっといえば、それ...
【感想】花の眼窩に静電気生れわたくしは記憶をひとつづつ殺したい 藪内亮輔
- 2014/08/30
- 16:15
花の眼窩に静電気生れわたくしは記憶をひとつづつ殺したい 藪内亮輔【短歌と/の殺害】藪内さんの短歌についてまえから考えていたんですが、藪内さんの短歌は安易に読みの枠組みを設定させないところにその特徴があるんじゃないかと思うんです。たとえば、うえの短歌をみてください。「花」というのは短歌でよく使われるタームです。ところが「花の眼窩」と発話された瞬間、花にまつわるすべての歴史的文脈は「花」から剥奪され...
【お知らせ】「人/形(たち)の家 『Senryu So 時実新子2013』を〈カタチ〉から読む」『ウラハイ = 裏「週刊俳句」』2014/8/30
- 2014/08/30
- 13:39
〈私小説〉を読み解く最大のポイントは、主人公が〈小説家〉として自身の生活を自己対象化していくプロセス──メタ・レベルの遠近法──を明らかにしていくことにある。 安藤宏『太宰治研究15』2014年8月30日更新の『ウラハイ = 裏「週刊俳句」』に、「『Senryu So 時実新子2013』を〈カタチ〉から読む」を掲載していただきました。ありがとうございました。お時間のあるときにお読みくださればさいわいです。以前から時実新子さん...
【感想】ゾンビ化する短詩型文学-短詩型・オブ・ザ・デッド-
- 2014/08/29
- 22:47
ゾンビ、それは近代の理想的市民のネガである。 近代の理想的市民とは、そのつどの具体的経験を経ながら自己をたえずモニタリングする人間、すなわちたんにベタな現実に埋没するのではなく、かといってメタな原理に従って暴走するのでもない、いわば中庸の徳を備えた人間のことである。しかし、ゾンビはと言えば、具体的経験は何一つ蓄積しないし(死んでいるのだから)、自己を検証する意識も持ち合わせない。ゾンビの不気味さは...
【感想】永井祐さんの「日本の中でたのしく暮らす」語り手はなぜ「ぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れ」たのか?
- 2014/08/28
- 12:31
高いところ・広いところで歩いてる僕の体は後者を選ぶ 永井祐建物がある方ない方 動いてる僕の頭が前者を選ぶ 〃整然と建物のある広いところ 僕全体がそっちを選ぶ 〃【one of 僕(たち)】永井祐さんの短歌のおもしろさのひとつに「僕」による〈「僕」の疎外〉というものがあるように思うんです。「あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな」もそうなんですが、〈僕〉のこととして〈語る〉ことに...
【感想】۵ 石原ユキオ
- 2014/08/28
- 00:20
۵ 石原ユキオ【わたしはもうしんでいる】石原ユキオさんの「HAIKU OF THE DEAD」からゾンビ化した語り手による一句です。語り手がだんだんとゾンビ化しつつも、それでも俳句を詠みつづけるという一連の流れがあるんですが、この「۵」の前の句が、食マレヌです。喰われちゃってます。「 いっぱ いち ゅ する とく ちび なくな る ね」と文章がこの句についているんですが、一連を読んでいてわかるのは、語り手がゾン...
【あとがき】デリダ『エクリチュールと差異〈新訳〉』のあとがき
- 2014/08/28
- 00:01
ここで思い切って言っておくと、訳者にとってデリダは「システムとはいかなるものか」という問いを極限的地帯にまで推し進めた哲学者のひとりである。パスカルの言うように「二つの無限」に挟まれた森羅万象はどのようにつながり、どのように切り離され、時に固体とも液体とも気体とも、物質とも精神とも呼ばれる様態をまといながら、また、何らかの仕方で個体化され脱個体化されるのか。(……)デリダが死去したのは2004年10月8日...
【感想】胸の高さの泥水で老人が死ぬ 選挙区はさいとう斎藤 斉藤斎藤
- 2014/08/27
- 13:43
胸の高さの泥水で老人が死ぬ 選挙区はさいとう斎藤 斉藤斎藤【名前のわたし】斉藤さんの歌集のタイトル『渡辺のわたし』が象徴的だとおもうんですが、斉藤さんの短歌のテーマに〈固有名〉と〈わたし〉がどういうふうに出会い・すれちがうのかという〈固有名〉と〈わたし〉をめぐる折衝があるようにおもうんです。「渡辺のわたし」ということばについて考えてみるとわかると思うんですが、〈わたし〉が〈渡辺〉である限りにおい...
【川柳と絵】ひとり落選展-象が飛んだ日-
- 2014/08/27
- 12:54

川柳マガジンの「絵川柳」のコーナーに投稿したものの、〈落選〉してしまった〈落選作〉のみを並べた〈落選展(©週刊俳句)〉です。早朝に円盤をみる始業式 柳本々々浮かんでる象から測る近未来 柳本々々メガネからたったひとりをえらびなさい 柳本々々...
【あとがき】ジジェク『身体なき器官』のあとがき
- 2014/08/27
- 12:00
この「あとがき」を閉じるに際して、次の一点だけは強調しておきたい。それは、本書が《へーゲルを唯一の例外として》偉大な哲学者の大方の「おかまを掘る」ことで「怪物」を産みだすといったドゥルーズ自身の〈哲学する〉行為をまさにドゥルーズ自身の肛門に向けて行使するという、ドゥルーズ的意味での「実験」のジジェクによる反覆である、という点である。こうした「実験」あるいは介入に込められた意図を理解することなく、哲...