【詩】「あかるいふくろ」『現代詩手帖』2018年8月号、松下育男・須永紀子 選
- 2018/07/31
- 12:52

音のしない目黒通りのしずかな家具店が並ぶ路をわたしはころげるようにあるいていたバス停では、三月だったので、マスクをして、ならんでいる、モスバーガーのふくろや東急ストアのふくろをさげて、あかるいふくろを手でもって、こなをふりはらう、「八雲のあたりで降りれば自由が丘まであるいていけるんじゃないかな、みてよこれ、あしがすごいことになってる」「ねえ、まどのそとをみて、あのひと、こわいすごい、さゆうにゆれて...
【お知らせ】浅沼璞さんとの往復書簡4『オルガン』14号
- 2018/07/28
- 22:56

浅沼璞さんとの往復書簡も4回目になりました。今回璞さんが平句のように自由なきもちで書きますと書かれていたので、わたしも自由なきもちで書いてみました。今までの往復書簡で学んだことを用いて京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』についてかんがえています。関口巽について。言いたかったことはこういうことです。どうしてわたしより世界のほうが優先してしまうことがあるんだろう、わたしより世界のほうがわたしの味方になってしま...
【お知らせ】「川柳を〈読む〉ということー倉本朝世さんとの対話から」『あざみ通信』20号
- 2018/07/28
- 22:51

あざみ通信20号で倉本朝世さんとのメールでのやりとりを載せてもらっています。川柳を読むとはどういうことかについてです。後編が、相当後の号になってしまうので、どういうことを書いたかをここで説明しておくと、まず、川柳を読むというのは、ことば単体でかんがえるか、それとも作者や背景もふくめてかんがえるか、ということを朝世さんと話しあっています。これはわたしがたまたま誤読したことからたまたま始まった朝世さんと...
【短歌連作】「まだここにずっといるの?」『かばん』2018年8月号
- 2018/07/27
- 21:44

彼がいうようにわたしたちはきのこなのかもしれなかった どっと木いつか俺に死がくるだろうりっぱな犬がおしっこするときの震えこのカヌレだれのと言われ手をあげる桜の園が手に入ったのにスクルージスクルージ (間) スクルージ あなたのことがだいすきだったあと二十日過ぎると戦(いくさ)がやってくる「やだなあ」とかは許されていないさようならまだまだまだ出ないけれど車窓をみると意味が手を振るあるくとき木をみてい...
【短歌連作】「でぶ、私の人生は変化しつつある」『かばん』2018年7月号
- 2018/07/15
- 12:45

矢や弓やレモンや手紙、合い鍵や薔薇やコップやじょうろを持つ手前世とか来世とかよくわからない、んだけれどきみはすごい眼の速さ指輪のタトゥーが入ってるのかあ。羊の息の草の死のにおい宙(そら)からの船。武装もせずに談笑し指さしあって待っていたんだ猫たちよおれはおっきい猫なのかわあわあ泣くと寄ってくるんだうちにかえりたいの?とあなたにきかれる朝のカナリアがすごい船室の窓に映っている猫とその猫を抱くふとった...