【感想】短歌の天使-或いは天使の内臓=内蔵-
- 2015/09/28
- 12:00
わたくしはどちらも好きよミカエルの右の翼と左の翼 紀野恵
ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している 吉岡太朗
オレンジのなかにちいさな臓器ありいつの日かたぶん天使がえらぶ 加藤治郎
ねむりながら笑うおまえの好物は天使のちんこみたいなマカロニ 穂村弘
【575=天使のからだ、77=天使のつばさ】
短歌って天使がよく出てくるような気がするんですね。
短歌と天使のかかわりあいはどこかで親密らしい。
で、短歌の絵を描かれている安福望さんの絵にはときどき(歌に天使と書かれていなくても)天使が描かれることがあってそのことについてもよく考えていたんですが、もしかするとそれって安福さんがそれとなく短歌における天使のモチーフを感受していたっていうことでもあるのかなともおもうんです。短歌それ自体がどこかそもそも天使的であると。
ランダムにうえに天使の歌を並べてみましたが、ざっとみていたわかるのは、短歌のなかの天使は抽象的・形而上学的・神秘的なものというよりもむしろ、具体的・臓物的・グロテスクであるということがわかります。
紀野さんの「翼」としてのパーツへの言及、吉岡さんの天使の「なまごみ=なまもの」としての「はねとからだ」への言及、加藤さんの臓器と天使の関連性への言及、穂村さんの「天使のちんこ」と「マカロニ」の関連性への言及。
どこか臓器や身体的部位が〈エグい〉かたちで天使と関連づけられていく。神秘的なかたちではなくて、モノのレベルに天使をひきずりおとすことが短歌のなかではどうも行われているらしい。
ちょっとわたしが思うのは、短歌っていつでも超越性と向き合わざるをえない表現形式だとおもうんですね。
定型っていうものがそれなんですが、定型ってなんなのか、っていうのは実は神秘的で超越的で、よくわからない。もちろん構造分析もパーツ分解もできるんだけれど、それでも理解しがたい超越性がのこる。古くからあるものだけれど天使のようにまったく進化もせず、変態もしないで、そのままのかたちである。天使のかたちを誰かが変えようといってもなかなか変えられないように定型のかたちもかってに変えられない。
ところがです。そういうかみさまみたいな神秘性・超越性を定型はもっているんだけれど、でもわたしたちは表現するときつねに定型を身体的に57577とパーツ・部位・内臓のように具体的に、形而下で、羽ではなく、いわば下腹部から内臓的に向き合うわけです。
定型がいくら神秘的とはいっても、その神秘性に定型としての内臓性から向き合うこと。それが神秘性と臓器性にひきさかれた短歌の表現形式なのではないかとおもうのです。そしてそれは天使の構造に類似しているのではないかとも。
だから、短歌のなかの天使って、じつは定型なのではないかともおもうのです。天使=定型。
定型がゴミ捨て場に捨てられていたり、定型のちんこだったりもする。
蝶は天使「人間はなぜ泣くのでしょう」 関口比良男
ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している 吉岡太朗
オレンジのなかにちいさな臓器ありいつの日かたぶん天使がえらぶ 加藤治郎
ねむりながら笑うおまえの好物は天使のちんこみたいなマカロニ 穂村弘
【575=天使のからだ、77=天使のつばさ】
短歌って天使がよく出てくるような気がするんですね。
短歌と天使のかかわりあいはどこかで親密らしい。
で、短歌の絵を描かれている安福望さんの絵にはときどき(歌に天使と書かれていなくても)天使が描かれることがあってそのことについてもよく考えていたんですが、もしかするとそれって安福さんがそれとなく短歌における天使のモチーフを感受していたっていうことでもあるのかなともおもうんです。短歌それ自体がどこかそもそも天使的であると。
ランダムにうえに天使の歌を並べてみましたが、ざっとみていたわかるのは、短歌のなかの天使は抽象的・形而上学的・神秘的なものというよりもむしろ、具体的・臓物的・グロテスクであるということがわかります。
紀野さんの「翼」としてのパーツへの言及、吉岡さんの天使の「なまごみ=なまもの」としての「はねとからだ」への言及、加藤さんの臓器と天使の関連性への言及、穂村さんの「天使のちんこ」と「マカロニ」の関連性への言及。
どこか臓器や身体的部位が〈エグい〉かたちで天使と関連づけられていく。神秘的なかたちではなくて、モノのレベルに天使をひきずりおとすことが短歌のなかではどうも行われているらしい。
ちょっとわたしが思うのは、短歌っていつでも超越性と向き合わざるをえない表現形式だとおもうんですね。
定型っていうものがそれなんですが、定型ってなんなのか、っていうのは実は神秘的で超越的で、よくわからない。もちろん構造分析もパーツ分解もできるんだけれど、それでも理解しがたい超越性がのこる。古くからあるものだけれど天使のようにまったく進化もせず、変態もしないで、そのままのかたちである。天使のかたちを誰かが変えようといってもなかなか変えられないように定型のかたちもかってに変えられない。
ところがです。そういうかみさまみたいな神秘性・超越性を定型はもっているんだけれど、でもわたしたちは表現するときつねに定型を身体的に57577とパーツ・部位・内臓のように具体的に、形而下で、羽ではなく、いわば下腹部から内臓的に向き合うわけです。
定型がいくら神秘的とはいっても、その神秘性に定型としての内臓性から向き合うこと。それが神秘性と臓器性にひきさかれた短歌の表現形式なのではないかとおもうのです。そしてそれは天使の構造に類似しているのではないかとも。
だから、短歌のなかの天使って、じつは定型なのではないかともおもうのです。天使=定型。
定型がゴミ捨て場に捨てられていたり、定型のちんこだったりもする。
蝶は天使「人間はなぜ泣くのでしょう」 関口比良男
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