【感想】出なくてもいい時に出るアルファ波 竹井紫乙
- 2015/09/30
- 20:44
出なくてもいい時に出るアルファ波 竹井紫乙
【素晴らしい余計者】
川柳ってひとつの〈やあ。〉の思想ではないかと思っていてですね、とつぜんなんですね、すべてが。
で、とつぜんっていうのは、〈とつぜん〉になるための根拠がいるんですね。たとえば、昔からゆうじんだったけれどとつぜん好きになってしまったとか、昔から知っている事柄が裏切られる、すると〈とつぜん〉が起きるのではないか、そういう〈とつぜん性〉っていうものがあって〈とつぜん〉は〈とつぜん〉になるんではないかとおもうんです。
たとえばですね、このしおとさんの句の「アルファ波」。
みんな知っているアルファ波なんですが、「出なくてもいい時に出」てきちゃった点においてみんなの知ってるアルファ波を裏切っているんです。
だからこれはその〈裏切り〉において〈とつぜん〉なんですよ。
それを2音であらわせば、〈やあ。〉なんだとおもうんですね。
「やあ。」って、マジックワードというか魔術的なことばだとおもうんですよね。たった2音なんだけれども。
たとえば、レイモンド・カーヴァーの小説の、絶望からそれでもたちあがって、たちあがったそのさきで誰かがふいに訪れてくれて、そのひとに「やあ」と声をかけることができる、あるいはかけてもらうことができる、そういう質感をもった「やあ」として(じぶんのなかには)あるんだとおもうんですよ(たとえば「ぼくが電話をかけている場所」っていう短編とか「ささやかだけれど大切なこと」とか)。
こないだ「好きな詩人」として紹介した高橋順子さんの詩集『時の雨』も、じぶんにとってはいつまでも「やあ」という訪れがやまないことの可能性をもった詩集なんですね。
なにかこう、あきらめたり、絶望したりしても、それでもあした、なにかこう「やあ」が思いがけなくくるばあいがあるだろう、たとえば竹井紫乙さんの「あとがき」を書かせてもらったり小池正博さんと対談させてもらったりすることがあるだろう、そういう思いがけない「やあ」を待つために「時の雨」にじぶんがいるんだってことをあきらめたくなったときは思い出したほうがいいだろう。そういうきもちがあるんだとおもいます。
で、そういう〈やあ。〉性を思いがけなくも川柳という文芸はもっているようにおもうんですよ。〈やあ。〉っていうのはちょっと難しくいいえかえれば、〈構造の組み換え〉だとおもうんですね。ともだちを好きになっちゃった、それは〈構造の組み換え〉ですよね。出なくてもいいときに出ちゃったアルファ波。それもアルファ波の構造の組み換えなんです。
だから「やあ。」って魔術的なことばだとおもうんですよ。そしてかんがえてみると川柳はいつもふいうちなので、いつもひとつの「やあ」だとおもうわけです。
川柳は、いつも、たったひとつの、思いがけない、「やあ」だと。
いつまでも笑顔でひどい事をする 竹井紫乙
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