【こわい川柳 第八十六話】ふたたびオズの国へ-なかはられいこ-
- 2015/10/01
- 12:00
産院の窓の向こうのオズの国 なかはられいこ
【ドロシー・ゲイルを発話できますか?】
この句がじぶんにとってはとても印象的でよく考えているんですが、なかはらさんの句っていうのは〈外傷的〉な句がけっこうあるのではないかとちょっとおもったんですね(前にも〈抑圧〉という観点からこのことを考えてみましたが、今回もういちどオズの国へ行ってみようと思います)。
たとえばこの句では「オズの国」が「産院の窓」を通してしかあらわれえない。なにかが発現しようとするときに、それがそのままには出てこないで、いったん〈外傷〉をとおして発露する。そういう句なんじゃないかとおもうんです。「そのまま性」が傷つけられて発露する、といったらいいんでしょうか。
たとえば俳句シンポジウムなどでもたしか高山れおなさんが引用されていたなかはらさんのこんな有名な句もその観点から読めるかもしれない。
ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
911の歴史・社会的観点からではなくて、外傷的な観点、つまり「きれい」と発話しようとしたひとが〈外傷〉をとおして「きれい」と発話できなくなってしまう観点。そういう観点からも読めるのではないか。この句では「きれい」を二回は発話しようとしてるんだけれども、どちらも失敗しています。しかも「きれ、い」「き、れ」と、《それぞれ固有》のやりかたで発話に失敗している。「きれい」に固執しながらも、「きれい」がどうしても「外傷」を背負っていて発話できない。
たとえばそのような観点から穂村弘さんや倉本朝世さんとの鼎談で取り上げられていたこんな句をみなおしてみてもいいんじゃないかとおもうんです。
えんぴつは書きたい鳥は生まれたい なかはられいこ
えんぴつそのものが、鳥そのものが〈外傷〉を背負っているために、そのままではいられない。
〈外傷〉っていうのをちょっとかなりあいまいなまま使ってきたんですが、あえていうなら〈そのまま性〉が〈そのまま〉にならない意味の現場というような、傷ついた発話システムです。
そういう意味構築の〈外傷〉のようなものがなかはらさんの川柳にはあるのだけれど、〈内面〉をそのままありのままにありったけ〈吐露〉する心象的川柳に対して、なかはらさんの川柳は〈外傷的川柳〉としてのカウンターの位置をもっていたともいえるのではないかとおもうんです。
そのままやありったけが、そのままやありったけにどうしてもならない場所。発話が発話として機能不全となってしまう場所に。
五月闇またまちがって動く舌 なかはられいこ
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