【感想】前髪を5ミリ切るときやわらかなまぶたを鋏の先に感じる 中家菜津子
- 2015/10/01
- 23:45
前髪を5ミリ切るときやわらかなまぶたを鋏の先に感じる 中家菜津子
【きみのかたさとやわらかさ】
中家さんの歌集『うずく、まる』から一首です。
この歌に強く印象的にあらわれているのが、かたさとやわらかさの対比だとおもうんですね。で、それは誰もが読んでみてすぐに気がつくことだとおもうんですね。
ただこのかたさとやわらかさなんですが、それだけでは終わってないのがこの歌のインパクトだとおもうんです。
上の句に「前髪を5ミリ切るとき」ってありますよね。これはいいかえてみると、〈死〉のイメージなんじゃないかとおもうんですよ。
髪を切るって不可逆なことですよね。もちろん、髪は切っても伸びますよ。伸びるんだけれど、すぐには戻りません。またおなじかたちにも戻らない。それは不可逆なんですよ。
で、かたさとやわらかさを包含するものとして〈死〉があるんじゃないかとおもうんですね。わたしたちはやわらかい赤ん坊として生まれ、かたい死体になっていくというふうに即物的にかんがえることもできる。そういう〈死〉のイメージが潜在的にうたわれているんじゃないかとおもう。とくに「まぶた」なんて可傷的ですよね。
たとえばこのかたさとやわらかさ。永田和宏さんの歌でも確認してみましょう。
笑いいる少女うつくしふと思(も)えば肉よりぞ硬き歯は生(は)えいたる 永田和宏
これはどんなにわたしが〈きれい〉だなと思った女の子でも歯茎から歯が生えている、という意味の歌だとおもうんですが(ある意味で、「ヴァギナ・デンタタ(歯の生えた膣)」コンプレックスを想起させる歌ですが)、ここでもやわらかさとかたさの対比が〈死〉につながっています。
つまり、どんなに観念的に〈きれい〉であっても〈死〉をむかえる肉体をもっているということです。
そういえば、俳句でもこんなやわらかいひとさしゆびとかたい墓の対比をもった句がありました。生まれてから何年もかけてひとは死体に成長するのだ、と語った寺山修司の。
秋風やひとさし指は誰の墓 寺山修司
例えば、クリームパフェを食う男にはなりたくない、と俺は思っているわけだ。どんなに食いたくても俺はパフェは食わない。「朝日歌壇」の選歌のとき、永田和宏はクリームパフェを頼むんだな。高野公彦はその点僕と同じで絶対にパフェは食わない。「やだよねえ」と二人でうなずき合う 佐佐木幸綱
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