【感想】北山あさひ「風家族」(短歌連作)
- 2015/10/03
- 15:25
第五十八回短歌研究新人賞候補作に北山あさひさんの「風家族」がありました。
で、この「風家族」っていうのはタイトルの「風」+「家族」のように「風」のような〈一過性・現場性〉としての家族のフィクショナルなありようが描かれていたとおもうんです。
夏雲のあわいをユー・エフ・オーは行くきらめいて行く母離婚せり 北山あさひ
母さんが父さんにバット振りかざすあの夜のこと 家族はコント 〃
たとえばユー・エフ・オー=UFOやコントといった仮構されたフィクションが家族の「離婚」や「家庭内暴力」といった現場と結びついていく。それが〈風〉なんですね。
で、このフィクションは事物や出来事だけでなく、家族を語ろうとすることの言語そのものにも感染していきます。
して、自由にして、お前は 噴水はまっすぐ上がりとてもいい子 北山あさひ
穂村弘さんが内実の虚偽の判断は、その文体にあらわれるといっていたんですが、たとえば北山さんは〈素朴リアリズムな文体〉で家族のことを描いているわけではないですね。「して、自由にして、お前は」とだんだん文法が〈やさぐれる〉というか、〈解体〉していくフィクショナルな〈文体の風〉のなかで家族を描こうとしている。
だからフィクショナルに家族そのものを語ろうとするみずからのことばも実はフィクショナルなものであり、〈風〉のような一過性のものにすぎないんだということに語り手が自覚をもっているとおもうんですよ。
ただそういう風のように過渡性をいきながらもそれでも〈残滓〉がインパクトをもって、モノとしてフィクションから排斥されていくところにも注目したい。
自由とは速さ、たとえば鳥の糞 長女のように街は立つなり 北山あさひ
たぶん今ニトリに行ったら吐く 風が動いて他人を抱く他人は 〃
〈風〉という現場的仮構だけではない。その場所には、糞や吐瀉物がリアルなモノとして残らざるをえないんだっていうことなんじゃないかとおもうんです。だからここには風へのアンチ風もある。
風とアンチ風がであう家族の現場。それが風家族なのではないかとおもうし、そうした現場をたった一文字であらわすならば、こういう場所としてのいいかたができるんじゃないかとおもう。
崖、と。
他人から他人へ渡る体温の私たち陽当たりのいい崖 北山あさひ
で、この「風家族」っていうのはタイトルの「風」+「家族」のように「風」のような〈一過性・現場性〉としての家族のフィクショナルなありようが描かれていたとおもうんです。
夏雲のあわいをユー・エフ・オーは行くきらめいて行く母離婚せり 北山あさひ
母さんが父さんにバット振りかざすあの夜のこと 家族はコント 〃
たとえばユー・エフ・オー=UFOやコントといった仮構されたフィクションが家族の「離婚」や「家庭内暴力」といった現場と結びついていく。それが〈風〉なんですね。
で、このフィクションは事物や出来事だけでなく、家族を語ろうとすることの言語そのものにも感染していきます。
して、自由にして、お前は 噴水はまっすぐ上がりとてもいい子 北山あさひ
穂村弘さんが内実の虚偽の判断は、その文体にあらわれるといっていたんですが、たとえば北山さんは〈素朴リアリズムな文体〉で家族のことを描いているわけではないですね。「して、自由にして、お前は」とだんだん文法が〈やさぐれる〉というか、〈解体〉していくフィクショナルな〈文体の風〉のなかで家族を描こうとしている。
だからフィクショナルに家族そのものを語ろうとするみずからのことばも実はフィクショナルなものであり、〈風〉のような一過性のものにすぎないんだということに語り手が自覚をもっているとおもうんですよ。
ただそういう風のように過渡性をいきながらもそれでも〈残滓〉がインパクトをもって、モノとしてフィクションから排斥されていくところにも注目したい。
自由とは速さ、たとえば鳥の糞 長女のように街は立つなり 北山あさひ
たぶん今ニトリに行ったら吐く 風が動いて他人を抱く他人は 〃
〈風〉という現場的仮構だけではない。その場所には、糞や吐瀉物がリアルなモノとして残らざるをえないんだっていうことなんじゃないかとおもうんです。だからここには風へのアンチ風もある。
風とアンチ風がであう家族の現場。それが風家族なのではないかとおもうし、そうした現場をたった一文字であらわすならば、こういう場所としてのいいかたができるんじゃないかとおもう。
崖、と。
他人から他人へ渡る体温の私たち陽当たりのいい崖 北山あさひ
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