【感想】一人カラオケ わたしはなぜかしたくなく君はときどきやっていること 永井祐
- 2015/10/05
- 20:18
一人カラオケ わたしはなぜかしたくなく君はときどきやっていること 永井祐
【対象喪失の世界】
永井祐さんの語法ってとても独特だと思うんですね。斉藤斎藤さんが、助詞を変則的に使うことで不可思議な助辞の世界観をつくりあげたとするならば、永井祐さんの短歌は名詞を《あえて》スカしてしまうことによって、決定的に空疎な世界観を語法によって生み出したことなんじゃないかとおもうんです。
言うなれば、《対象喪失》の世界観です。
たとえばです。
この歌ならば「わたしはなぜかしたくなく」が永井語法のような感じになると思うんですが、「わたしはなぜか(それを)したくなく」ではなくて、「なぜかしたくなく」なんですね。「Xを」という対象が不在になることによって、アクションする対象物が浮かび上がってこない。その結果、ほんとうに「したくなく」なのかどうかもわからない不思議な世界観が生まれています。
こういう対象喪失の世界観。
たとえば永井さんのよく引用されている歌でもある、
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね 永井祐
も、「月を」見つけ、対象があらわれたと思いきや、「ぼくはこっちだからじゃあまたね」と《対象喪失のフェイズ》に向かっていきます。
この語法による《対象喪失》の感じが永井さんっぽい語法の喪失感なんじゃないかとおもうんですね。
そうなるとじゃあどういうふうにこの世界観のなかでひとは対象化するのか、むきあえるのかというテーマが浮かびあがってくるようにも思います。
〈考え〉は、どう、向かい合うのか。
君は君の僕には僕の考えのようなもの チェックの服で寝る 永井祐
【対象喪失の世界】
永井祐さんの語法ってとても独特だと思うんですね。斉藤斎藤さんが、助詞を変則的に使うことで不可思議な助辞の世界観をつくりあげたとするならば、永井祐さんの短歌は名詞を《あえて》スカしてしまうことによって、決定的に空疎な世界観を語法によって生み出したことなんじゃないかとおもうんです。
言うなれば、《対象喪失》の世界観です。
たとえばです。
この歌ならば「わたしはなぜかしたくなく」が永井語法のような感じになると思うんですが、「わたしはなぜか(それを)したくなく」ではなくて、「なぜかしたくなく」なんですね。「Xを」という対象が不在になることによって、アクションする対象物が浮かび上がってこない。その結果、ほんとうに「したくなく」なのかどうかもわからない不思議な世界観が生まれています。
こういう対象喪失の世界観。
たとえば永井さんのよく引用されている歌でもある、
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね 永井祐
も、「月を」見つけ、対象があらわれたと思いきや、「ぼくはこっちだからじゃあまたね」と《対象喪失のフェイズ》に向かっていきます。
この語法による《対象喪失》の感じが永井さんっぽい語法の喪失感なんじゃないかとおもうんですね。
そうなるとじゃあどういうふうにこの世界観のなかでひとは対象化するのか、むきあえるのかというテーマが浮かびあがってくるようにも思います。
〈考え〉は、どう、向かい合うのか。
君は君の僕には僕の考えのようなもの チェックの服で寝る 永井祐
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の短歌感想