【短歌】童貞じゃ…(「第91回 短歌ください(お題:童貞・処女)穂村弘 選」『ダ・ヴィンチ』2015年11月号)
- 2015/10/05
- 22:36
童貞じゃなくなった日に玄関をとおると母のおかえりの声 柳本々々
(「第91回 短歌ください(お題:童貞・処女)穂村弘 選」『ダ・ヴィンチ』2015年11月号)
【童貞とは〈だれ〉なのか】
童貞ってけっきょく〈他者〉から考えるしかないんじゃないかと思っていて、じぶんが〈童貞〉かどうかという問題よりも、社会のなかで、他者との枠組みのなかで、じぶんが〈童貞〉なのかどうかっていうことが問題になっているような気がするんです。
だから〈童貞〉が語られるときは、かならずそのひとがどういう場所にいて・いまどういう人間で・どういうパーソナリティをもっていて・どういう履歴をもっていて・これからどういう先行きがあるのかということがいっしょくたに語られる、そういう現象が〈童貞〉なんじゃないかとおもうんです。
だから〈童貞〉を語るという行為は、じぶんがいろんなことに、枠組みに縛られていることをさらけだすことそのものをめぐる行為なんじゃないかとおもうんですよ。
北山あさひさんに〈童貞〉をめぐる短歌があるんですが、あさひさんの短歌が語っているように、「ある」か「ない」かを思ったときに《だけ》、現象的に明滅する、それが《童貞》なんじゃないか、とおもっているんです。セックスとはかんけいなくて。じぶんが〈だれ〉かというもんだいであって。それは、
零しつつ零れつつ水 人生に童貞でありしことのなければ 北山あさひ
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