【感想】はやくにんげんになりたい川柳-人になる手順と呪文-
- 2014/06/19
- 13:03
人になる手順が書いてある絵本 ひとり静
人になる呪文が裏に書いてある 月波与生
利用価値無くなってから人になる 三浦蒼鬼
一枚の皮をまとって人になる ひとは
【はやくにんげんになりたい!】
月波さんの「人になる呪文が裏に書いてある」が気になっていてずっと覚えていたんですが、それからいろんな句をみているうちに、川柳において「人」は、人「デアル」ものではなくて、人「ニナル」ものなんじゃないかと思い始めました。
これは視覚主体が季語というメディアによって明確になる俳句とはすこしちがった川柳のありかたになるんじゃないかと思うんですよね。
おそらく、人「デアル」ことが季語を使用することの必要条件なので俳句においては人「デアル」ことは前提となっている。でも川柳はちがっていてそもそも語り手であるこのわたしが「人」なのかどうかが問われている。
俳句が季語をメディアにした視覚対象の変節を詠むのに対し、川柳は視覚対象にむきあう語り手としてのわたしの変節を詠むことが多いのではないか、とかなりおおざっぱな図式ですが思ったりもします。
つまり俳句が視覚のダイナミズムであるならば、川柳とはわたしのダイナミズムなのではないかと。
上にあげた「人ニナル」川柳は、みなあらかじめ「人」でないことがポイントだと思うんですね。おそろくべきことですが、「人」デナイ語り手が、「ヒトデナシ」が川柳を詠んでいて、「人」ニナル過程をうたっています。しかもどの句もその「人」のなりかたがみなめいめいの迂回をたどっています。「手順」や「呪文」という仲介からは、「人」が神秘的な機構のさきにある組成物として表現されているようにも思います。
川柳の詠み手は、なにかをみてうたう前に、すでに、つねにこのわたしがなんらかのかたちでつきくずされている。そしてそのつきくずしそのものをうたうということが上の「にんげんになりたい」句からわかるようにおもいます。
人間にされてたまるか鰓に雪 守田啓子
人になる呪文が裏に書いてある 月波与生
利用価値無くなってから人になる 三浦蒼鬼
一枚の皮をまとって人になる ひとは
【はやくにんげんになりたい!】
月波さんの「人になる呪文が裏に書いてある」が気になっていてずっと覚えていたんですが、それからいろんな句をみているうちに、川柳において「人」は、人「デアル」ものではなくて、人「ニナル」ものなんじゃないかと思い始めました。
これは視覚主体が季語というメディアによって明確になる俳句とはすこしちがった川柳のありかたになるんじゃないかと思うんですよね。
おそらく、人「デアル」ことが季語を使用することの必要条件なので俳句においては人「デアル」ことは前提となっている。でも川柳はちがっていてそもそも語り手であるこのわたしが「人」なのかどうかが問われている。
俳句が季語をメディアにした視覚対象の変節を詠むのに対し、川柳は視覚対象にむきあう語り手としてのわたしの変節を詠むことが多いのではないか、とかなりおおざっぱな図式ですが思ったりもします。
つまり俳句が視覚のダイナミズムであるならば、川柳とはわたしのダイナミズムなのではないかと。
上にあげた「人ニナル」川柳は、みなあらかじめ「人」でないことがポイントだと思うんですね。おそろくべきことですが、「人」デナイ語り手が、「ヒトデナシ」が川柳を詠んでいて、「人」ニナル過程をうたっています。しかもどの句もその「人」のなりかたがみなめいめいの迂回をたどっています。「手順」や「呪文」という仲介からは、「人」が神秘的な機構のさきにある組成物として表現されているようにも思います。
川柳の詠み手は、なにかをみてうたう前に、すでに、つねにこのわたしがなんらかのかたちでつきくずされている。そしてそのつきくずしそのものをうたうということが上の「にんげんになりたい」句からわかるようにおもいます。
人間にされてたまるか鰓に雪 守田啓子
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