【感想】商品券で和泉式部が買えますか 小池正博
- 2015/10/08
- 18:06
商品券で和泉式部が買えますか 小池正博
性慾と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風がふきあれていた。 田山花袋「蒲団」
【自然主義と現代川柳】
文学史では明治40年代くらいに自然主義っていうのが出てきますよね(漱石や鴎外、啄木が活動していた時期です)。性欲の告白とか醜い〈わたし〉をそのまま描くという自然主義の内実としてはそういう告白体の小説になるんだけれども、形式として大事だったのは「口語」体だったことだとおもうんです。
これはとても大事なことだと思っていて、なんで大事かというと、「口語」体だと、教養や素養がいらないので、ああじぶんにも〈文学〉って書けるかもしれないな、っていう〈文学の投機〉を引き起こすことです。
だからたしか明治40年代には、書くための文学マニュアルや作家志望の青年たちが増加するといった事態があったはずです。
自然主義っていうのは、こんなたいしたことないじぶんがむしろ文学の主人公になって、しかもとくに教養や素養もないけれど〈書く〉ことができるっていう、そういう〈文学場〉を広げたんじゃないかとおもうんです。
で、現代川柳っていうのは自然主義のような〈口語自由詩〉的発想がとても強い表現様式だとおもうんですが、ちょっとねじれてるのが、自然主義のコンテンツが〈そのまんま性〉だったのに比べて、川柳は〈そのまんま性のねじれ〉になっています。
たとえばとつぜん肩をたたかれて、「商品券で和泉式部が買えますか」といわれたら、ちょっとやばい、こわいとおもうとおもうんですね。
ただやばいこわいと思いながらも、形式としては誰もが使っている「口語」体なので、コミュニケーションが形式的にはできる。でも川柳っていうのは内実としてはいつもねじれてる。
鳩の時間だ早く鬘をかぶりなさい 小池正博
こういうふうなのもとつぜん肩をたたかれていわれたらこわいですよね。でも、コミュニケーション形式としては一般的なんです。
だから川柳ってちょっとハイパー自然主義というか、形式としては自然主義的なんだけれども、コンテンツとしてはハイパー化している。そういうところがあるのかなあとも思うんです。
自然主義ってキャラクター小説やライトノベルとの親和性としてよく言及されたりもしていますが、たしか飯島章友さんが『川柳スープレックス』で現代川柳を東浩紀さんや大塚英志さんから説明もされていたとおもうんですが、ちょっとこういう自然主義的なところとも似通っているのかなあとおもうんです。形式はすごくふつうなんだけれども、なぜかコンテンツがぶっとんでいるというか。でも形式は革新的にはしていかなかった。記号もできるだけ使わずにここまできた。それはなんでだろうっていう。
トイレまで付いてくるなという手紙 小池正博
寂しさ、寂しさ、寂しさ、この寂しさを救ってくれるものはないか、美しい姿の唯一つでいいから、白い腕にこの身を巻いてくれるものはないか。そうしたら、きっと復活する。希望、奮闘、勉励、必ずそこに生命を発見する。この濁った血が新しくなれると思う。けれどこの男は実際それによって、新しい勇気を恢復することができるかどうかはもちろん疑問だ。 田山花袋「少女病」
性慾と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風がふきあれていた。 田山花袋「蒲団」
【自然主義と現代川柳】
文学史では明治40年代くらいに自然主義っていうのが出てきますよね(漱石や鴎外、啄木が活動していた時期です)。性欲の告白とか醜い〈わたし〉をそのまま描くという自然主義の内実としてはそういう告白体の小説になるんだけれども、形式として大事だったのは「口語」体だったことだとおもうんです。
これはとても大事なことだと思っていて、なんで大事かというと、「口語」体だと、教養や素養がいらないので、ああじぶんにも〈文学〉って書けるかもしれないな、っていう〈文学の投機〉を引き起こすことです。
だからたしか明治40年代には、書くための文学マニュアルや作家志望の青年たちが増加するといった事態があったはずです。
自然主義っていうのは、こんなたいしたことないじぶんがむしろ文学の主人公になって、しかもとくに教養や素養もないけれど〈書く〉ことができるっていう、そういう〈文学場〉を広げたんじゃないかとおもうんです。
で、現代川柳っていうのは自然主義のような〈口語自由詩〉的発想がとても強い表現様式だとおもうんですが、ちょっとねじれてるのが、自然主義のコンテンツが〈そのまんま性〉だったのに比べて、川柳は〈そのまんま性のねじれ〉になっています。
たとえばとつぜん肩をたたかれて、「商品券で和泉式部が買えますか」といわれたら、ちょっとやばい、こわいとおもうとおもうんですね。
ただやばいこわいと思いながらも、形式としては誰もが使っている「口語」体なので、コミュニケーションが形式的にはできる。でも川柳っていうのは内実としてはいつもねじれてる。
鳩の時間だ早く鬘をかぶりなさい 小池正博
こういうふうなのもとつぜん肩をたたかれていわれたらこわいですよね。でも、コミュニケーション形式としては一般的なんです。
だから川柳ってちょっとハイパー自然主義というか、形式としては自然主義的なんだけれども、コンテンツとしてはハイパー化している。そういうところがあるのかなあとも思うんです。
自然主義ってキャラクター小説やライトノベルとの親和性としてよく言及されたりもしていますが、たしか飯島章友さんが『川柳スープレックス』で現代川柳を東浩紀さんや大塚英志さんから説明もされていたとおもうんですが、ちょっとこういう自然主義的なところとも似通っているのかなあとおもうんです。形式はすごくふつうなんだけれども、なぜかコンテンツがぶっとんでいるというか。でも形式は革新的にはしていかなかった。記号もできるだけ使わずにここまできた。それはなんでだろうっていう。
トイレまで付いてくるなという手紙 小池正博
寂しさ、寂しさ、寂しさ、この寂しさを救ってくれるものはないか、美しい姿の唯一つでいいから、白い腕にこの身を巻いてくれるものはないか。そうしたら、きっと復活する。希望、奮闘、勉励、必ずそこに生命を発見する。この濁った血が新しくなれると思う。けれどこの男は実際それによって、新しい勇気を恢復することができるかどうかはもちろん疑問だ。 田山花袋「少女病」
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