【短歌】早朝の…(毎日新聞・毎日歌壇2015年10月12日・加藤治郎 選)
- 2015/10/12
- 04:35
早朝のあわいに私は起きているこの時間にだけ会えるひとがいる 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2015年10月12日・加藤治郎 選)
【電話と呪術】
どれだけメディアが発達してもアナログ的関係というか古代的関係って廃れることはないような気がして、たとえばじぶんの家の宅電はどういうわけか鳴らないので電話が鳴ってから受話器をとりあげることはできないんだけれども、相手とタイミングを合わせて相手がかけているそのせつな受話器を向こう側と同時に持ち上げれば、回線が通じて通話することができるんですね(なにをいっているのかよくわかりませんね?)。
で、ときどき、そうやって電話してるんです。たとえば十時ジャストにかけてください、そのとき十時ジャストに受話器をもちあげるので、つながったら電話しましょう、もしつながらなかったらあきらめましょうって。それで時計をみながら短針と長針が十時ジャストをさしたしゅんかん、わたしは受話器をもちあげるわけです。今だ、と。
そして、はなしかける。もしもし、と。あいてがいるかどうかわからないくうかんにむかって。
そして、もしもしは、くうかんに、きえる。
この21世紀にいったいどういうことなんだろうとはおもうんです。どういうお話なんだろうと。20世紀をまたいでもドラえもんはいなかったのかと。こんなゲーム方式でわたしはあいてとつながることしかできないのかと。
でも一方でどれだけメディアが発達しても、そういう古代的で呪術的で偶発的なつながりかたって消えないようなきがするんですよ。
たとえばあのひとなんでいつも早朝にブログ更新してるんだろうとかベッドのなかでおもう。それってもうデジタルとか技術とかは関係ないわけですよ。それは星とひかりと時間と夜とおぼろな早朝の気配の問題だとおもうんですよ。
たとえばスマホが発達してもふるえるゆびでメールなりラインなりうってる。そうすると、このゆびはなんだ、っておもうんです。このゆびにまとわりつくひかりはなんだって。夜や朝や太陽や星のひかりはなんだ、って。
メディアがどれだけ発達してもきえないそういう呪術的つながりあいはどうなってるんだって。デジタルの、未踏の、ぷるんぷるんとしたような。
ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵 小津夜景
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