【感想】けむりある故にからだは愛し合ふ 攝津幸彦
- 2015/10/13
- 01:30
けむりある故にからだは愛し合ふ 攝津幸彦
「出ていくなんてできない」と、Kが言った。「ここにとどまるためにやって来た。だからここにいる」 カフカ『城』
【城は、けむり】
こんなことを言ったら怒られるかもしれないのだけれど、攝津さんの俳句の身体観って川柳的身体観とけっこう通じるものがあるんじゃないかなっておもうんです。
むかし攝津さんの句を読んだときに、このひとチャンネルがへんだな、とおもってそれで『攝津幸彦全句集』を買ってそのままにしておいたんですが、さいきんその『全句集』を通読していて、やっぱりへんだなとはおもうわけです。
たとえば、
米櫃の中に耳あり十六夜 攝津幸彦
優曇華に男の肩が落ちてゐる 〃
こういう世界のあちこちに体のパーツが落ちている身体観ってちょっと川柳の身体観にも通じるところがあるなっておもうんです。
で、攝津さんにはこんなけむりと身体をめぐる句もある。
初恋の馬鹿人体に煙出し 攝津幸彦
けむりある故にからだは愛し合ふ 〃
攝津さんの他者の身体を享受しようとするエロス的身体観の根っこには〈けむり〉があるんじゃないかなとおもったりします。つまり、なんにもない・んだけれども・なんかある、というような〈表象的身体〉が。
で、この身体を表象とかんがえる機制ならば、表象っていうのは再現=現前のことなので、身体を世界のあちこちに再現化=現前化することもふしぎなことではないようなきがするんです。けむりのように世界のあちこちに表象として身体がたちあがる。でもだからこそ、身体が〈この俺のこの身体〉というようなデカルト的に閉じこめられることなく、あっちこちにとんでいって、エロス的にむつまじくすることができる。
そういう〈どこでもボディ〉のようなけむり的身体観があるようにもおもう。
でもだからといって〈刻印〉としての〈死〉だけはけむりにならない。表象も〈とどめ〉をさされることを、知っている。
春昼の仏の穴や君も死ぬ 攝津幸彦
わたしにはユダヤ人と共通のなにがあるだろう? いや、わたしには、わたし自身と共通なものさえほとんどない……。 カフカ『日記』
〈けむり〉のようなことばと愛とからだと人生をたえず主題にしたのがチェーホフ。たとえばミハルコフの映画『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』
「出ていくなんてできない」と、Kが言った。「ここにとどまるためにやって来た。だからここにいる」 カフカ『城』
【城は、けむり】
こんなことを言ったら怒られるかもしれないのだけれど、攝津さんの俳句の身体観って川柳的身体観とけっこう通じるものがあるんじゃないかなっておもうんです。
むかし攝津さんの句を読んだときに、このひとチャンネルがへんだな、とおもってそれで『攝津幸彦全句集』を買ってそのままにしておいたんですが、さいきんその『全句集』を通読していて、やっぱりへんだなとはおもうわけです。
たとえば、
米櫃の中に耳あり十六夜 攝津幸彦
優曇華に男の肩が落ちてゐる 〃
こういう世界のあちこちに体のパーツが落ちている身体観ってちょっと川柳の身体観にも通じるところがあるなっておもうんです。
で、攝津さんにはこんなけむりと身体をめぐる句もある。
初恋の馬鹿人体に煙出し 攝津幸彦
けむりある故にからだは愛し合ふ 〃
攝津さんの他者の身体を享受しようとするエロス的身体観の根っこには〈けむり〉があるんじゃないかなとおもったりします。つまり、なんにもない・んだけれども・なんかある、というような〈表象的身体〉が。
で、この身体を表象とかんがえる機制ならば、表象っていうのは再現=現前のことなので、身体を世界のあちこちに再現化=現前化することもふしぎなことではないようなきがするんです。けむりのように世界のあちこちに表象として身体がたちあがる。でもだからこそ、身体が〈この俺のこの身体〉というようなデカルト的に閉じこめられることなく、あっちこちにとんでいって、エロス的にむつまじくすることができる。
そういう〈どこでもボディ〉のようなけむり的身体観があるようにもおもう。
でもだからといって〈刻印〉としての〈死〉だけはけむりにならない。表象も〈とどめ〉をさされることを、知っている。
春昼の仏の穴や君も死ぬ 攝津幸彦
わたしにはユダヤ人と共通のなにがあるだろう? いや、わたしには、わたし自身と共通なものさえほとんどない……。 カフカ『日記』
〈けむり〉のようなことばと愛とからだと人生をたえず主題にしたのがチェーホフ。たとえばミハルコフの映画『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』
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