【感想】中空の0おごそかに回転す 佐々木貴子
- 2015/10/18
- 00:30
中空の0おごそかに回転す 佐々木貴子
焼鳥の串一本が宇宙の芯 〃
【2015年なんでもなく旅】
貴子さんの句集『ユリウス』を読み直していたんですが、貴子さんの俳句のなかの〈超越性〉というか〈形而上俳句〉がおもしろいなとおもったんです。
たとえば貴子さんのこんな句も形而上俳句だとおもいます。
宇宙船無音で滑る枯野道 佐々木貴子
鬱蒼と繁るパセリのなか涅槃 〃
どっちも好きな句なんですが、たとえば最初にかかげた二句なんかはキューブリックの『2001年宇宙の旅』のような形而上学と巨大な石板モノリスという唯物性が唐突にであってしまうインパクトがあるし、いまあげた二句には、「無音」というのがよく現しているように日常的平淡さのなかに〈なんでもなく〉宇宙船や涅槃といった超越的なものがあらわれているようにもおもうんですよね。
で、俳句はどんなふうに超越性を内包するのか、という問題がここには私はあるような気がするんですが、俳句の超越性とは、一般の物語のなかにある超越性とはちがって、〈非―畏怖〉なんではないかとおもうんですよ。
つまり、まったくおどろかないこと。たとえば芭蕉が宇宙船を古池を眺めるように眺め、そのまんま乗り込むこと。この〈非驚嘆性〉が俳句のなかの独特の超越性になっているようにおもうんですよね(だからその意味で誰もモノリスに驚かないキューブリックの『2001年宇宙の旅』は〈俳句映画〉なんじゃないかともおもうんですよ)。
ええと、ところで2001年が過ぎてしまっているわけなのですが──
あたしXあなたY軸春疾風 佐々木貴子
カサヴェテス『こわれゆく女』から。妻ジーナ・ローランズが〈超越化〉することで、平淡に壊れていく家庭。とても無音にこわれる家族を夫ピーター・フォークが不器用にみつめる
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