【こわい川柳 第九十一話】えいえんとくちから-畑美樹-
- 2015/10/20
- 00:30
永遠に続く読後感想文 畑美樹
ぼくらが必要とする書物とは、ぼくらをこよなく苦しめる不幸のように痛めつけ、打ちのめすものだ。自分自身を愛する以上に愛してやまなかった人の死のように、すべての人から引き離されて森の奥へと追放される時のように、そして自殺のように、それは作用する。書物とは、ぼくらの内部の氷結した海を砕く斧でなければならない。 カフカ『決定版カフカ全集9 手紙』
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい 笹井宏之
【「続きを書くよ」と私は言った】
以前、
感想をいっこも書かない人生 柳本々々
という拙句をつくったことがあるんですが、感想を書くっていう行為はつねに「感想を書かない行為」を思いながら〈書く行為〉なのかなっておもってるんですよ。
つまり、「感想を書かない」ことも選べたはずなのにそれを選ばなかったし、そちらの可能性を「書いた」ことでつぶしてしまった。それによって考えられたはずのことがぜったいにかんがえられなくなるかもしれない。
感想=言葉でもって感じて・想ったことをきちんと自分なりに言説化することは、いちどやってしまうと、言葉以前の状態にはかえれないから、ほんとうは感想を書くことがよいのかどうか実はわからないとおもってるんです。だからいつでも「書かなかったとき」のことは考えていようと。感想は暴力的でもあるので。
その〈暴力性〉をすこしあらわしているのがこの畑さんの句なのかなっておもうんです。もちろん、ポジティヴな解釈もできます。それだけ読んだ本のインパクトが強かった。この本の「読後感」を一生涯もっていこうとかですね。
ただ本を読むっていうのは、やっぱりどこかで〈暴力的な行為〉にたずさわることなんじゃないかなっておもうんですよ。カフカが、いい本にであうということは斧でじぶんをかち割られることだ、というようなことをいっていましたよね。じぶんのなかの氷河を砕くものだって。そこには、自分が主体的になにか動くというよりも、本が文学機械として自動的にこちらに働きかけてすみついてしまう、そういう暴力性もあるんじゃないかとおもうんですよね。だから、その点で、本は機械です。
この畑さんの句でおもしろいなと思ったことのひとつが、「感想」ではなく「感想文」になっているところです。
一生、ひとは読んだら〈書き続けなければならない〉。読むということは、書くということなんだということが端的にこの「文」にはあらわれています。
だからこういうふうにも言えるんですよね。読む、ということは、これまでの圧倒的な量の書かれたもののなかに、みずからもその継ぎ手としてペンをもってダイヴすることなんだと。ものを新しく書くということは、つねに〈続きを書く〉ということにほかならないんだと。
要求はえんぴつが丸くなるまで 畑美樹
「さてと、もう仕事に戻らなくちゃ」とフレッドはいった。「板材プレス機が呼んでいる。きみはどうする?」
「書くんだ」とわたしはいった。「しばらく、本の続きを書くよ」
「意欲的だな」とフレッドはいった。「学校の先生がいってたみたいに、きみの本は天気のことか?」
「ちがう。天気のことじゃない」
「けっこう」とフレッドはいった。「天気の本なんか読みたくないからな」
「本を読んだことがあるのかい?」とわたしはいった。
「ないさ」とフレッドはいった。「ないけどさ、雲について読むことから、ぼくの読書経験を始めたくないのさ」 ブローティガン「文学」『西瓜糖の日々』
ぼくらが必要とする書物とは、ぼくらをこよなく苦しめる不幸のように痛めつけ、打ちのめすものだ。自分自身を愛する以上に愛してやまなかった人の死のように、すべての人から引き離されて森の奥へと追放される時のように、そして自殺のように、それは作用する。書物とは、ぼくらの内部の氷結した海を砕く斧でなければならない。 カフカ『決定版カフカ全集9 手紙』
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい 笹井宏之
【「続きを書くよ」と私は言った】
以前、
感想をいっこも書かない人生 柳本々々
という拙句をつくったことがあるんですが、感想を書くっていう行為はつねに「感想を書かない行為」を思いながら〈書く行為〉なのかなっておもってるんですよ。
つまり、「感想を書かない」ことも選べたはずなのにそれを選ばなかったし、そちらの可能性を「書いた」ことでつぶしてしまった。それによって考えられたはずのことがぜったいにかんがえられなくなるかもしれない。
感想=言葉でもって感じて・想ったことをきちんと自分なりに言説化することは、いちどやってしまうと、言葉以前の状態にはかえれないから、ほんとうは感想を書くことがよいのかどうか実はわからないとおもってるんです。だからいつでも「書かなかったとき」のことは考えていようと。感想は暴力的でもあるので。
その〈暴力性〉をすこしあらわしているのがこの畑さんの句なのかなっておもうんです。もちろん、ポジティヴな解釈もできます。それだけ読んだ本のインパクトが強かった。この本の「読後感」を一生涯もっていこうとかですね。
ただ本を読むっていうのは、やっぱりどこかで〈暴力的な行為〉にたずさわることなんじゃないかなっておもうんですよ。カフカが、いい本にであうということは斧でじぶんをかち割られることだ、というようなことをいっていましたよね。じぶんのなかの氷河を砕くものだって。そこには、自分が主体的になにか動くというよりも、本が文学機械として自動的にこちらに働きかけてすみついてしまう、そういう暴力性もあるんじゃないかとおもうんですよね。だから、その点で、本は機械です。
この畑さんの句でおもしろいなと思ったことのひとつが、「感想」ではなく「感想文」になっているところです。
一生、ひとは読んだら〈書き続けなければならない〉。読むということは、書くということなんだということが端的にこの「文」にはあらわれています。
だからこういうふうにも言えるんですよね。読む、ということは、これまでの圧倒的な量の書かれたもののなかに、みずからもその継ぎ手としてペンをもってダイヴすることなんだと。ものを新しく書くということは、つねに〈続きを書く〉ということにほかならないんだと。
要求はえんぴつが丸くなるまで 畑美樹
「さてと、もう仕事に戻らなくちゃ」とフレッドはいった。「板材プレス機が呼んでいる。きみはどうする?」
「書くんだ」とわたしはいった。「しばらく、本の続きを書くよ」
「意欲的だな」とフレッドはいった。「学校の先生がいってたみたいに、きみの本は天気のことか?」
「ちがう。天気のことじゃない」
「けっこう」とフレッドはいった。「天気の本なんか読みたくないからな」
「本を読んだことがあるのかい?」とわたしはいった。
「ないさ」とフレッドはいった。「ないけどさ、雲について読むことから、ぼくの読書経験を始めたくないのさ」 ブローティガン「文学」『西瓜糖の日々』
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