【感想】視野を変えれば霊柩車もひとつの音楽 普川素床
- 2014/06/22
- 21:53
視野を変えれば霊柩車もひとつの音楽 普川素床
【死を指揮する者】
普川さんの川柳はいつもすごく独特なんですが、それは読み手が普川さんの川柳が示している句の定型にどう向き合うかを試されてしまう、といった点にあると思うんですよね。
たとえば、うえの句もどういうふうに定型としてかんがえたらいいのかとても難しい句だとおもいます。
で、わたしはこんなふうにかんがえてみました。
しやをかえれば/れいきゅうしゃもひ/とつのおんがく
この、7・7・7がそろって7音としてあたかも音楽のように半永久的に奏でられていくのがこの句のおもしろさではないかと。
この、777の揃い踏みには、777の前後に潜在的に(…777777)777(777777…)をもつのではないかと。
だからなによりも定型こそがこの語り手にとって〈音楽〉だったのではないかと思うんですね。
もちろん、意味内容としては霊柩車が鳴らし続ける半永久的なクラクションの音を語り手は視野を変えることによって「音楽」とみなしているともおもうんですが、ただその一方で語り手は定型においても7音を半永久的に続けることによって「音楽」を表象している。でもその一方で5音がとりのぞかれ7音が続いていくということは、始点も終点ももたず、はじまりもおわりももてないということによって霊柩車という死の器をうたうことでもあったのではないかとおもうんですね。
つまり、ここにおいては語り手はうたを駆動したわけでも、何かを語りきろうとしたわけでもなく、霊柩車としての音楽の7音の永続性のなかに参加したにすぎない。そのなかの一部として部分的に局所的にうたをよんだにすぎない。でも、語り手にとってそもそも死の音楽とはそういった意味合いをもっている。
そんなことがこの句においては、語られているようにおもいます。
普川さんの句はつねに読み手の音楽観を試しているようにさえおもいます。
のど自慢どこかで死者がまたひとり 普川素床
【死を指揮する者】
普川さんの川柳はいつもすごく独特なんですが、それは読み手が普川さんの川柳が示している句の定型にどう向き合うかを試されてしまう、といった点にあると思うんですよね。
たとえば、うえの句もどういうふうに定型としてかんがえたらいいのかとても難しい句だとおもいます。
で、わたしはこんなふうにかんがえてみました。
しやをかえれば/れいきゅうしゃもひ/とつのおんがく
この、7・7・7がそろって7音としてあたかも音楽のように半永久的に奏でられていくのがこの句のおもしろさではないかと。
この、777の揃い踏みには、777の前後に潜在的に(…777777)777(777777…)をもつのではないかと。
だからなによりも定型こそがこの語り手にとって〈音楽〉だったのではないかと思うんですね。
もちろん、意味内容としては霊柩車が鳴らし続ける半永久的なクラクションの音を語り手は視野を変えることによって「音楽」とみなしているともおもうんですが、ただその一方で語り手は定型においても7音を半永久的に続けることによって「音楽」を表象している。でもその一方で5音がとりのぞかれ7音が続いていくということは、始点も終点ももたず、はじまりもおわりももてないということによって霊柩車という死の器をうたうことでもあったのではないかとおもうんですね。
つまり、ここにおいては語り手はうたを駆動したわけでも、何かを語りきろうとしたわけでもなく、霊柩車としての音楽の7音の永続性のなかに参加したにすぎない。そのなかの一部として部分的に局所的にうたをよんだにすぎない。でも、語り手にとってそもそも死の音楽とはそういった意味合いをもっている。
そんなことがこの句においては、語られているようにおもいます。
普川さんの句はつねに読み手の音楽観を試しているようにさえおもいます。
のど自慢どこかで死者がまたひとり 普川素床
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