【感想】光と祈りと痛いのはいっしょだね 野木えるん
- 2015/10/20
- 01:10
光と祈りと痛いのはいっしょだね 野木えるん
【「ね」はアドベンチャー】
『バックストローク創刊号』からの一句です。
なかはられいこさんが川柳のなかの「ね」についてブログで書かれていたんですが(きりん・キリン・麒麟と変換されてゆくこわかったねとささやきながら)、この「ね」って考えてみると助辞としておもしろいなとおもうんですね。
この「ね」一音で、詠嘆・同意・念押し・問いかけの四つが一度にできてしまう。
たとえばうえの句で例にとるなら、
① 詠嘆「いっしょだね(ああそうだよいっしょなんだよ)」
② 同意「いっしょだね(ね? そうだろう?)」
③ 念押し「いっしょだね(ね、いっしょだからね)」
④ 問いかけ「いっしょだね(きみはそうは思わないのかい?)
これら四つがたった一音の「ね」によって遂行される。
だから読み手はこの四つにこの句を読み終わったあと同時に対応しなければならない。詠嘆「ああそうだね」同意「うん、そう思うよ」念押し「うん、わかった」問いかけ「わたしだっておもう」。
読み手によっていろんなリアクションの組み合わせができる。
もうひとつおもしろいのは、「光と祈りと痛い」が一緒という〈視覚と観念と身体〉が一体になっているところです。「いっしょだね」といわれた瞬間、読み手はこれまでのみずからのカテゴリーマップを瞬時にくみかえて、じぶんでカテゴリーマッピングしながら対応していかなければならない。これも「ね」一音からはじまるアドベンチャーです。
定型詩ではこんなふうにあえてカテゴリー同士をひとまとめにし、カテゴリーをショートさせることで、新しいカテゴリーをつくろうとしているように思えます。
カテゴリーミステイクにあえて踏み込むとびかびか光り出す。なにが。聴き手である読み手が。
夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう 穂村弘
『ザ・シンプソンズ』の「ハロウィーン・スペシャル ドクター・ヒバートの島」から。人間と動物の混淆がテーマのH・G・ウェルズの『モロー博士の島』のパロディーだが、そもそもそうしたハイブリッドな文化の混淆体を積極的に物語化していたのが『ザ・シンプソンズ』だった。カテゴリーミステイクの物語
【「ね」はアドベンチャー】
『バックストローク創刊号』からの一句です。
なかはられいこさんが川柳のなかの「ね」についてブログで書かれていたんですが(きりん・キリン・麒麟と変換されてゆくこわかったねとささやきながら)、この「ね」って考えてみると助辞としておもしろいなとおもうんですね。
この「ね」一音で、詠嘆・同意・念押し・問いかけの四つが一度にできてしまう。
たとえばうえの句で例にとるなら、
① 詠嘆「いっしょだね(ああそうだよいっしょなんだよ)」
② 同意「いっしょだね(ね? そうだろう?)」
③ 念押し「いっしょだね(ね、いっしょだからね)」
④ 問いかけ「いっしょだね(きみはそうは思わないのかい?)
これら四つがたった一音の「ね」によって遂行される。
だから読み手はこの四つにこの句を読み終わったあと同時に対応しなければならない。詠嘆「ああそうだね」同意「うん、そう思うよ」念押し「うん、わかった」問いかけ「わたしだっておもう」。
読み手によっていろんなリアクションの組み合わせができる。
もうひとつおもしろいのは、「光と祈りと痛い」が一緒という〈視覚と観念と身体〉が一体になっているところです。「いっしょだね」といわれた瞬間、読み手はこれまでのみずからのカテゴリーマップを瞬時にくみかえて、じぶんでカテゴリーマッピングしながら対応していかなければならない。これも「ね」一音からはじまるアドベンチャーです。
定型詩ではこんなふうにあえてカテゴリー同士をひとまとめにし、カテゴリーをショートさせることで、新しいカテゴリーをつくろうとしているように思えます。
カテゴリーミステイクにあえて踏み込むとびかびか光り出す。なにが。聴き手である読み手が。
夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう 穂村弘
『ザ・シンプソンズ』の「ハロウィーン・スペシャル ドクター・ヒバートの島」から。人間と動物の混淆がテーマのH・G・ウェルズの『モロー博士の島』のパロディーだが、そもそもそうしたハイブリッドな文化の混淆体を積極的に物語化していたのが『ザ・シンプソンズ』だった。カテゴリーミステイクの物語
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