【こわい川柳 第九十三話】いやなピンク-現代川柳とピンク-
- 2015/10/21
- 00:00
すれ違うばかりピンク色の電車 津田暹
蒲鉾のいやなピンクになりきって 峯裕見子
縁切り寺に春夏秋冬咲くピンク 泉紅美
【ピンクで、会いましょう】
ピンクの三句を並べてみました。
この三句からピンクってなんなのかと考えた場合に、それは〈枠組みをあふれる余剰〉という言い方ができるかもしれないとおもうんですね。
たとえば津田さんの「すれ違うばかり」で乗ることのできない「ピンク色の電車」。これは〈乗る〉ということができないことでいつまでも〈自身の枠組み〉とあわないことをあらわしているようにおもうんです。でも「ばかり」ですから、一度すれ違っただけじゃない、そういう枠組み化できないものと出会い続けているわけです。
峯さんのも「いやなピンク」の「いやな」がおもしろいと思うんですよね。いろんなピンクがあるけれども、そのピンクの枠組みからも外れる「蒲鉾のいやなピンク」。それに「なりきって」という言葉を使っています。「なる」わけではない。「なりきる」。そうするとやっぱりいつまでも枠組み化できないものと向き合いつづけなければならない。「なりきり」はあくまで〈擬態〉なので。
泉さんのは「縁切り寺」という〈切れる〉場所に「春夏秋冬」一貫して、〈切れる〉ことなく咲きつづける「ピンク」の不気味さが語られているとおもいます。〈切れる〉枠組みのなかで、〈切れない〉ピンクが余剰としてあふれつづけている。
そういう、あふれる、どの枠組みにも回収できないピンクが現代川柳のなかにあるらしい。
まっとうにピンクのゴム手袋を買う 草地豊子
岩松了『水の戯れ』(1998)。岩松了の戯曲の人物たちは誰もが饒舌で誰もが誰もに積極的に関わろうとしているが、しかし誰一人として〈関わる〉ことに成功している人間はいない。〈関わる〉ことによって〈関われない〉場所に追い込まれていく。ピンクのような〈枠組化=関係化〉できない場所に。「どうやって確かめればいいの、私があなたのことが好きだってことを…」。行為をしながらも、誰もわからないでいる
蒲鉾のいやなピンクになりきって 峯裕見子
縁切り寺に春夏秋冬咲くピンク 泉紅美
【ピンクで、会いましょう】
ピンクの三句を並べてみました。
この三句からピンクってなんなのかと考えた場合に、それは〈枠組みをあふれる余剰〉という言い方ができるかもしれないとおもうんですね。
たとえば津田さんの「すれ違うばかり」で乗ることのできない「ピンク色の電車」。これは〈乗る〉ということができないことでいつまでも〈自身の枠組み〉とあわないことをあらわしているようにおもうんです。でも「ばかり」ですから、一度すれ違っただけじゃない、そういう枠組み化できないものと出会い続けているわけです。
峯さんのも「いやなピンク」の「いやな」がおもしろいと思うんですよね。いろんなピンクがあるけれども、そのピンクの枠組みからも外れる「蒲鉾のいやなピンク」。それに「なりきって」という言葉を使っています。「なる」わけではない。「なりきる」。そうするとやっぱりいつまでも枠組み化できないものと向き合いつづけなければならない。「なりきり」はあくまで〈擬態〉なので。
泉さんのは「縁切り寺」という〈切れる〉場所に「春夏秋冬」一貫して、〈切れる〉ことなく咲きつづける「ピンク」の不気味さが語られているとおもいます。〈切れる〉枠組みのなかで、〈切れない〉ピンクが余剰としてあふれつづけている。
そういう、あふれる、どの枠組みにも回収できないピンクが現代川柳のなかにあるらしい。
まっとうにピンクのゴム手袋を買う 草地豊子
岩松了『水の戯れ』(1998)。岩松了の戯曲の人物たちは誰もが饒舌で誰もが誰もに積極的に関わろうとしているが、しかし誰一人として〈関わる〉ことに成功している人間はいない。〈関わる〉ことによって〈関われない〉場所に追い込まれていく。ピンクのような〈枠組化=関係化〉できない場所に。「どうやって確かめればいいの、私があなたのことが好きだってことを…」。行為をしながらも、誰もわからないでいる
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