【感想】ディズニーシー日本国家の骨密度 竹内ヤス子
- 2015/10/22
- 00:30
ディズニーシー日本国家の骨密度 竹内ヤス子
【虚構をめぐる冒険】
以前、80年代頭に生まれたさんにんとして岡野大嗣さん、安福望さん、わたしの三人でお話させていただいたときに(ちなみにスタッフとして一緒にやってくださった牛隆佑さんもおなじ世代です)、80年代初頭に生まれた人間っていうのはどういう時代を生きてきたんだろうって考えてみたことがあるんですが、ひとついえるのは、80年代初頭っていうのは〈巨大な虚構〉から始まっているんですね。
まず、70年代終わり頃にビデオが普及してテレビの視聴法が変わってるんですよ。録画してみられるんでリアルタイムにみなくていい。つまり、自分でいろいろ編集して〈物語〉をつくれるようになった。それから、1981年には文学の記号化ともいえる田中康夫『なんとなく、クリスタル』が出版されて、都市の記号を散在させた記号小説が出てきます。1983年にはファミコン発売、「おたく」という語がはじめて使われたり、東京ディズニーランドも開園します。それから松田優作が不気味な家庭教師を演じた森田芳光の映画『家族ゲーム』もこの年です。1984年には国鉄(JR)の「エキゾチック・ジャパン(ディスカバー・ジャパン」の観光キャンペーンが始まって「日本の風景」と「自分」の再発見という〈フィクショナルなじぶん探し〉が始まる。
で、これらを一括してまとめてみると、〈虚構のメガ・ユートピア〉みたいなところから80年代が始まっているようにおもうんですよ。
竹内さんの句には「ディズニーシー」と「日本国家の骨密度」が重ねられ・差違化され・ずれるっていう多重的なつながり方になっていると思うんですが、でもたとえば10年代に生きていて〈現実〉をみるときに、やっぱりいまもなおその系譜があちこちにある「ディズニーランド」「ゲーム(ファミコン)」「オタク」「家族」「観光」「動画(ビデオ)」っていうのは〈リアル〉をさぐる指標としてまだ息づいているような気がするんですよね。「リアル」の骨密度をはかるものとして。
ちなみに、1982年に村上春樹の『羊をめぐる冒険』が出版されているんですが、これもひとつの〈巨大な虚構(歴史とシステム)〉をめぐる冒険でした。
最初に何があったのか、今ではもう忘れてしまった。しかしそこにはたしか何かがあったのだ。僕の心を揺らせ、僕の心を通して他人の心を揺らせる何かがあったのだ。結局のところ全ては失われてしまった。失われるべくして失われたのだ。それ以外に、全てを手放す以外に、ぼくにどんなやりようがあっただろう? 村上春樹『羊をめぐる冒険』
『ミッキーのクリスマス・キャロル』(1983)。ディズニーアニメーションでは〈境界〉の設定が非常に重要になる。生死、精霊、ゴーストの境界を身体リアリティに基づいてつくりあげることでリアル(法・労働・人種・ジェンダー)を排除した虚構のパッケージングを施してしまう
【虚構をめぐる冒険】
以前、80年代頭に生まれたさんにんとして岡野大嗣さん、安福望さん、わたしの三人でお話させていただいたときに(ちなみにスタッフとして一緒にやってくださった牛隆佑さんもおなじ世代です)、80年代初頭に生まれた人間っていうのはどういう時代を生きてきたんだろうって考えてみたことがあるんですが、ひとついえるのは、80年代初頭っていうのは〈巨大な虚構〉から始まっているんですね。
まず、70年代終わり頃にビデオが普及してテレビの視聴法が変わってるんですよ。録画してみられるんでリアルタイムにみなくていい。つまり、自分でいろいろ編集して〈物語〉をつくれるようになった。それから、1981年には文学の記号化ともいえる田中康夫『なんとなく、クリスタル』が出版されて、都市の記号を散在させた記号小説が出てきます。1983年にはファミコン発売、「おたく」という語がはじめて使われたり、東京ディズニーランドも開園します。それから松田優作が不気味な家庭教師を演じた森田芳光の映画『家族ゲーム』もこの年です。1984年には国鉄(JR)の「エキゾチック・ジャパン(ディスカバー・ジャパン」の観光キャンペーンが始まって「日本の風景」と「自分」の再発見という〈フィクショナルなじぶん探し〉が始まる。
で、これらを一括してまとめてみると、〈虚構のメガ・ユートピア〉みたいなところから80年代が始まっているようにおもうんですよ。
竹内さんの句には「ディズニーシー」と「日本国家の骨密度」が重ねられ・差違化され・ずれるっていう多重的なつながり方になっていると思うんですが、でもたとえば10年代に生きていて〈現実〉をみるときに、やっぱりいまもなおその系譜があちこちにある「ディズニーランド」「ゲーム(ファミコン)」「オタク」「家族」「観光」「動画(ビデオ)」っていうのは〈リアル〉をさぐる指標としてまだ息づいているような気がするんですよね。「リアル」の骨密度をはかるものとして。
ちなみに、1982年に村上春樹の『羊をめぐる冒険』が出版されているんですが、これもひとつの〈巨大な虚構(歴史とシステム)〉をめぐる冒険でした。
最初に何があったのか、今ではもう忘れてしまった。しかしそこにはたしか何かがあったのだ。僕の心を揺らせ、僕の心を通して他人の心を揺らせる何かがあったのだ。結局のところ全ては失われてしまった。失われるべくして失われたのだ。それ以外に、全てを手放す以外に、ぼくにどんなやりようがあっただろう? 村上春樹『羊をめぐる冒険』
『ミッキーのクリスマス・キャロル』(1983)。ディズニーアニメーションでは〈境界〉の設定が非常に重要になる。生死、精霊、ゴーストの境界を身体リアリティに基づいてつくりあげることでリアル(法・労働・人種・ジェンダー)を排除した虚構のパッケージングを施してしまう
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