【こわい川柳 第九十七話】はんぶんはあっち-倉本朝世-
- 2015/10/24
- 09:32
山田さんの靴を片方持っている 倉本朝世
記憶とは、新しい事件に出会うたびに総体が大きく組み変えられる一つの生きものである 中井久夫「心的外傷寸感」
【記憶のシンデレラとVUE(未知の暴力的出来事)】
過去の記憶や思い出って不思議なものだとおもうんですけど、なにか新しいことがあるたびに意味合いが変わってくるんですよ。
だから〈それ〉だけを記憶したり思い出したりしているわけではなくて、全体の変動しつつある集合体としてのメモリーのなかで、思い出をそのつどちがったかたちで思い出している。記憶や思い出ってそういう、〈非記憶〉〈非思い出〉としての逆説性があるとおもうんですよね。
だからいってみれば、〈おなじ想起〉をひとは二度とはできないとおもうんですよ。生きているかぎり。
たとえばなにげなくクッキーを食べたその思い出が、もう過去の恋愛の思い出とかかわり、どちらの意味も組み換えられてしまう。そういうことってあるんじゃないかなとおもって。
で、その質感にこの朝世さんの句は似ているのかなっておもうんですよ。ひとは記憶や思い出としての靴を揃えてはもっていられない。いつも一足ではなく、半足しか持っていられない。もう半足はいつも〈わたし〉でなく、「山田さん」がもっている。「さん」がついている程度の〈他者性〉をもったひとがわたしがじぶんで支配できないものをいつも持っている。しかも「山田さんの靴」ですから、それはつねに〈他者〉に帰属している。でも、所持はしているわけです。半足だけど。
じぶんのものではないんだけれど、じぶんに帰属もしていないんだけれど、でもじぶんが所持はしている状態。それに記憶や思い出ってちかいのかなっておもうんですよね。きゅうになにかの香りをかいでふとその香りにまつわる思い出を思い出したりすることありますよね。だからじぶんは所持しているんだけど、むこうがわにいつも帰属している。
そういう半足のガラスの靴のような〈記憶のシンデレラ〉みたいなところが記憶や思い出にはあるんじゃないかとおもったりするんですよ。
遠足の別々にゐる双子かな 岡田由季
グリーナウェイ『ザ・フォールズ』(1980)。Fallという綴りが姓名につく92人の〈未知の暴力的出来事〉の目撃者たちの証言を彼らの経歴と合わせて百科辞書的に記述する前代未聞の〈偽史=ノベル・フィクション〉事典映画。DVDにはきちんと93チャプター付いており事典のようにリファレンスしてたのしむことができる。グリーナウェイ映画は、何かを類別しことこまかに記述し整理しデジタル化すること事態が物語になっているがいちばんの面白さはそれらが〈真摯なてきとー〉として常に行われることだ。いちばん真面目な語り口を採用して、すっとぼけること。
記憶とは、新しい事件に出会うたびに総体が大きく組み変えられる一つの生きものである 中井久夫「心的外傷寸感」
【記憶のシンデレラとVUE(未知の暴力的出来事)】
過去の記憶や思い出って不思議なものだとおもうんですけど、なにか新しいことがあるたびに意味合いが変わってくるんですよ。
だから〈それ〉だけを記憶したり思い出したりしているわけではなくて、全体の変動しつつある集合体としてのメモリーのなかで、思い出をそのつどちがったかたちで思い出している。記憶や思い出ってそういう、〈非記憶〉〈非思い出〉としての逆説性があるとおもうんですよね。
だからいってみれば、〈おなじ想起〉をひとは二度とはできないとおもうんですよ。生きているかぎり。
たとえばなにげなくクッキーを食べたその思い出が、もう過去の恋愛の思い出とかかわり、どちらの意味も組み換えられてしまう。そういうことってあるんじゃないかなとおもって。
で、その質感にこの朝世さんの句は似ているのかなっておもうんですよ。ひとは記憶や思い出としての靴を揃えてはもっていられない。いつも一足ではなく、半足しか持っていられない。もう半足はいつも〈わたし〉でなく、「山田さん」がもっている。「さん」がついている程度の〈他者性〉をもったひとがわたしがじぶんで支配できないものをいつも持っている。しかも「山田さんの靴」ですから、それはつねに〈他者〉に帰属している。でも、所持はしているわけです。半足だけど。
じぶんのものではないんだけれど、じぶんに帰属もしていないんだけれど、でもじぶんが所持はしている状態。それに記憶や思い出ってちかいのかなっておもうんですよね。きゅうになにかの香りをかいでふとその香りにまつわる思い出を思い出したりすることありますよね。だからじぶんは所持しているんだけど、むこうがわにいつも帰属している。
そういう半足のガラスの靴のような〈記憶のシンデレラ〉みたいなところが記憶や思い出にはあるんじゃないかとおもったりするんですよ。
遠足の別々にゐる双子かな 岡田由季
グリーナウェイ『ザ・フォールズ』(1980)。Fallという綴りが姓名につく92人の〈未知の暴力的出来事〉の目撃者たちの証言を彼らの経歴と合わせて百科辞書的に記述する前代未聞の〈偽史=ノベル・フィクション〉事典映画。DVDにはきちんと93チャプター付いており事典のようにリファレンスしてたのしむことができる。グリーナウェイ映画は、何かを類別しことこまかに記述し整理しデジタル化すること事態が物語になっているがいちばんの面白さはそれらが〈真摯なてきとー〉として常に行われることだ。いちばん真面目な語り口を採用して、すっとぼけること。
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