【感想】入れることうなずく妻がわれに背をむけて遠くへ差し置くめがね 久真八志
- 2015/10/26
- 20:15
入れることうなずく妻がわれに背をむけて遠くへ差し置くめがね 久真八志
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉
【眼鏡と赤茄子】
加藤治郎さんが「独特の生々しさをもった性愛の歌」と評されていた歌なんですが、この歌の「遠くへ差し置くめがね」という〈距離感〉がおもしろいなとおもったんですね。〈視覚〉を分割するというんでしょうか。
で、ちょっとあわせて読んでみたいのがこの茂吉の有名な赤茄子の歌です。この赤茄子の歌ってすごく不思議な歌だと思うんですが、ある意味でこれも〈視覚の分割〉の歌だとおもうんです。
赤茄子が腐っている。そこからまあそんなに距離はないんだけれども歩いているところっていう、赤茄子にまだ〈視覚〉を置きながらも、いま歩いているここの〈視覚〉もある。で、ここにもわたしは生のなまなましさのようなものが露開しているとおもうんですよ。
なぜ〈視覚の分割〉がなまなましくなるのか。
ちょっと思うのは、わたしたちはデカルト的な〈いま、このわたし〉が〈ここ〉からみている〈視覚〉の強度にふだんはとらわれているんだけれども(とらわれているというかそうしないとこんらんしているようにとらえられかねませんよね、視覚があっちゃこっちゃしていると)、ただそれはある意味でデカルトのように折り目正しく視覚を統御し統制していることであもる。
ところが〈視覚が分割〉されるっていうことは、〈ほとばしる生〉のほうが〈視覚の制御〉を超えてしまった、ということなんじゃないかとおもうんですね。生=性のあっちゃこっちゃというか。視覚なんてかまっていられない、というか。で、こうした生の強度が視覚の分割としてあらわれているのではないかとおもったんです。
そしてその分割さえも分割したままに据え置くのが定型の強度なんじゃないかとも。
鍵二つ、この部屋にあるいつの間にか、妻は自分のを合鍵と言う 久真八志
ウディ・アレン『スターダスト・メモリー』(1980)。ウディ・アレンの映画にはいつも〈こんらん〉したひとたちばかりが出てくる。なかでもその〈こんらん〉の極みがこのフェリーニの『81/2』のオマージュともいえる『スターダスト・メモリー』であり、〈こんらん〉は最終的にフェリーニのように祝祭として止揚されることなく、ウディ・アレンらしく〈意気消沈〉で終わる。〈意気消沈〉という主体はウディ・アレンの大好きなベルイマンもまた問い続けた主体かもしれない
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉
【眼鏡と赤茄子】
加藤治郎さんが「独特の生々しさをもった性愛の歌」と評されていた歌なんですが、この歌の「遠くへ差し置くめがね」という〈距離感〉がおもしろいなとおもったんですね。〈視覚〉を分割するというんでしょうか。
で、ちょっとあわせて読んでみたいのがこの茂吉の有名な赤茄子の歌です。この赤茄子の歌ってすごく不思議な歌だと思うんですが、ある意味でこれも〈視覚の分割〉の歌だとおもうんです。
赤茄子が腐っている。そこからまあそんなに距離はないんだけれども歩いているところっていう、赤茄子にまだ〈視覚〉を置きながらも、いま歩いているここの〈視覚〉もある。で、ここにもわたしは生のなまなましさのようなものが露開しているとおもうんですよ。
なぜ〈視覚の分割〉がなまなましくなるのか。
ちょっと思うのは、わたしたちはデカルト的な〈いま、このわたし〉が〈ここ〉からみている〈視覚〉の強度にふだんはとらわれているんだけれども(とらわれているというかそうしないとこんらんしているようにとらえられかねませんよね、視覚があっちゃこっちゃしていると)、ただそれはある意味でデカルトのように折り目正しく視覚を統御し統制していることであもる。
ところが〈視覚が分割〉されるっていうことは、〈ほとばしる生〉のほうが〈視覚の制御〉を超えてしまった、ということなんじゃないかとおもうんですね。生=性のあっちゃこっちゃというか。視覚なんてかまっていられない、というか。で、こうした生の強度が視覚の分割としてあらわれているのではないかとおもったんです。
そしてその分割さえも分割したままに据え置くのが定型の強度なんじゃないかとも。
鍵二つ、この部屋にあるいつの間にか、妻は自分のを合鍵と言う 久真八志
ウディ・アレン『スターダスト・メモリー』(1980)。ウディ・アレンの映画にはいつも〈こんらん〉したひとたちばかりが出てくる。なかでもその〈こんらん〉の極みがこのフェリーニの『81/2』のオマージュともいえる『スターダスト・メモリー』であり、〈こんらん〉は最終的にフェリーニのように祝祭として止揚されることなく、ウディ・アレンらしく〈意気消沈〉で終わる。〈意気消沈〉という主体はウディ・アレンの大好きなベルイマンもまた問い続けた主体かもしれない
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