【ふしぎな川柳 第三夜】ふがいっぱいーひとり静ー
- 2015/11/03
- 12:48
ふの音がいっぱい夏が終わるとき ひとり静
支持しますゴロンゴロンとくる楕円 〃
どうしようマダラが順に落ちてくる 〃
【現代川柳とスーパーマリオブラザーズ】
川柳のふしぎなことのひとつに、ふだんは実体化しないものが実体化してしまうふしぎというものがあります。
だから川柳ってちょっとヴァーチャルな空間というか、ゲームの世界にもちかい。
ヴァーチャルな空間やゲームの空間って、いったいなんなのかって考えてみると、それはふだん実体化しないものを実体化する空間のようにおもうんですね。たとえばマリオならキノコとかクリボーとかパタパタとかなんとなくイメージだけで描いているものをビットで固定化=実体化する。
そこではイメージが固定化されてゆく快楽とともに、その固定化されたイメージに〈襲われる〉可傷的快楽もある。つまり、〈死ぬ〉かもしれないわけです。イメージが固形化されたせかいで。じっさい、なんども死にながら、記憶と記録と経験値をつみあげながら、ゲームってクリアしていくものですよね。
で、たとえば、ひとり静さんの実体化の句を並べてみたときにですね、
支持しますゴロンゴロンとくる楕円 ひとり静
どうしようマダラが順に落ちてくる 〃
これちょっとマリオをプレイしているような感じもするとおもうんですよ。実体化と危機意識ですね。楕円がゴロンゴロンときたり、マダラが順に落ちてきたりっていう。
それに、あれですよ、マリオでよくそうなって積んだりもするように、囲まれる場合だってあるわけですから。
不可能に囲まれている気がするわ ひとり静
「スーパーマリオブラザーズ」(1985)。たとえばゲームとはなにかを考えたときにそれは〈実体化〉と〈危機意識〉の組み合わせだということもできる。ひとはヴァーチャルやデジタルの〈感性〉から自らの知覚・感覚・動態を〈浸食される〉ことの快楽。つまり、デジタルとアナログのうまくいかない噛み合わせの歯がゆさがマリオのもう少しでいけたのにという〈非快楽的快楽〉になっている
支持しますゴロンゴロンとくる楕円 〃
どうしようマダラが順に落ちてくる 〃
【現代川柳とスーパーマリオブラザーズ】
川柳のふしぎなことのひとつに、ふだんは実体化しないものが実体化してしまうふしぎというものがあります。
だから川柳ってちょっとヴァーチャルな空間というか、ゲームの世界にもちかい。
ヴァーチャルな空間やゲームの空間って、いったいなんなのかって考えてみると、それはふだん実体化しないものを実体化する空間のようにおもうんですね。たとえばマリオならキノコとかクリボーとかパタパタとかなんとなくイメージだけで描いているものをビットで固定化=実体化する。
そこではイメージが固定化されてゆく快楽とともに、その固定化されたイメージに〈襲われる〉可傷的快楽もある。つまり、〈死ぬ〉かもしれないわけです。イメージが固形化されたせかいで。じっさい、なんども死にながら、記憶と記録と経験値をつみあげながら、ゲームってクリアしていくものですよね。
で、たとえば、ひとり静さんの実体化の句を並べてみたときにですね、
支持しますゴロンゴロンとくる楕円 ひとり静
どうしようマダラが順に落ちてくる 〃
これちょっとマリオをプレイしているような感じもするとおもうんですよ。実体化と危機意識ですね。楕円がゴロンゴロンときたり、マダラが順に落ちてきたりっていう。
それに、あれですよ、マリオでよくそうなって積んだりもするように、囲まれる場合だってあるわけですから。
不可能に囲まれている気がするわ ひとり静
「スーパーマリオブラザーズ」(1985)。たとえばゲームとはなにかを考えたときにそれは〈実体化〉と〈危機意識〉の組み合わせだということもできる。ひとはヴァーチャルやデジタルの〈感性〉から自らの知覚・感覚・動態を〈浸食される〉ことの快楽。つまり、デジタルとアナログのうまくいかない噛み合わせの歯がゆさがマリオのもう少しでいけたのにという〈非快楽的快楽〉になっている
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