【ふしぎな川柳 第七夜】そろそろたましいのはなしをしよう-八上桐子-
- 2015/11/05
- 01:00
離陸する一瞬たましいがずれる 八上桐子
魂でさえも、自らを知るためには、魂を覗き込む。 プラトン
【「なにか食べたいものある?」「たましいの天ぷら」】
たましいがなんなのかはわからないけれど、でもたましいって〈ズレ〉として、〈時間差〉としてやってくるものなら、わかるようなきがするんですね。
つまり、八上さんの句はそうなんだとおもうけれど、たましいの定義は問わない、たましいの定義はどうでもいい、でも、ズレるしゅんかんにふっと知覚するものがある。それがたましいなんじゃないかってことなんじゃないかとおもうんですよ。
アンゲロプロスの映画『ユリシーズの瞳』で、「魂でさえも、自らを知るためには、魂を覗き込む」ということばが冒頭に引用されるんだけれども、このプラトンのことばも〈ズレ〉としての魂のダイナミズムのありようをよくあらわしているんじゃないかとおもうんです。
「離陸する一瞬」だから、飛行機のなかにいる。だからこの句では機内の空間と身体とたましいのみっつが〈ズレ〉てゆくわけです。しかも、たましいなのに飛行機という機械の知覚をとおしてたましいがズレてゆくわけです。アンゲロプロスの映画で、映画というテクノロジーをとおしてたましいがゆさぶられていたように。
テクノロジーとたましいの関わりがそこにはある。
で、たとえばもしかすると、これは村上春樹の『ノルウェイの森』の有名な機内での回想する〈書き出し〉につなげてもいいかもしれませんよね。なんで主人公は40手前にもなってとうとつに十代のときの過去の恋愛ごとをとつぜん思い出したのか。ワタナベトオルはどうしちゃったのか。でもたぶんその答えは、こうなんだ。
それは、たましいがズレたから。
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。 村上春樹『ノルウェイの森』
茄子焼いて冷やしてたましいの話 池田澄子
水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』ののっぺらぼう。水木しげるマンガにおいてたましいは天ぷらとしてたべるための、かりかりさくさくふわふわもちもちなものとしてあらわれる。わたしは基本的に水木しげるの妖怪の図像化は食文化との関連が深いのではないかとおもう。独特ないっぽんいっぽんの歯の描き方とか。あれはひとを食べるための歯ではなく、食べ物を残さずたべるための歯だ。
たましいをてんぷらにするためにメリケン粉につけるのっぺらぼうのフィギュア。当時、フィギュアの写真をのせる際によくわからない加工をしていました。たましいがずれていたんでしょう。ちなみにある学祭にはアイスクリームのてんぷらというのがいつも出ていて私はよくたましいのてんぷらじゃないかこれと思っていました。
ボーイングに乗らなかったほうの渡辺徹。昔から渡辺徹が好きでラジオをよく聴いていた(地球ドラマチックも観続けている)。さいきんはシェイクスピアの舞台『トロイラスとクレシダ』ですごくいい味をだしていた。
魂でさえも、自らを知るためには、魂を覗き込む。 プラトン
【「なにか食べたいものある?」「たましいの天ぷら」】
たましいがなんなのかはわからないけれど、でもたましいって〈ズレ〉として、〈時間差〉としてやってくるものなら、わかるようなきがするんですね。
つまり、八上さんの句はそうなんだとおもうけれど、たましいの定義は問わない、たましいの定義はどうでもいい、でも、ズレるしゅんかんにふっと知覚するものがある。それがたましいなんじゃないかってことなんじゃないかとおもうんですよ。
アンゲロプロスの映画『ユリシーズの瞳』で、「魂でさえも、自らを知るためには、魂を覗き込む」ということばが冒頭に引用されるんだけれども、このプラトンのことばも〈ズレ〉としての魂のダイナミズムのありようをよくあらわしているんじゃないかとおもうんです。
「離陸する一瞬」だから、飛行機のなかにいる。だからこの句では機内の空間と身体とたましいのみっつが〈ズレ〉てゆくわけです。しかも、たましいなのに飛行機という機械の知覚をとおしてたましいがズレてゆくわけです。アンゲロプロスの映画で、映画というテクノロジーをとおしてたましいがゆさぶられていたように。
テクノロジーとたましいの関わりがそこにはある。
で、たとえばもしかすると、これは村上春樹の『ノルウェイの森』の有名な機内での回想する〈書き出し〉につなげてもいいかもしれませんよね。なんで主人公は40手前にもなってとうとつに十代のときの過去の恋愛ごとをとつぜん思い出したのか。ワタナベトオルはどうしちゃったのか。でもたぶんその答えは、こうなんだ。
それは、たましいがズレたから。
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。 村上春樹『ノルウェイの森』
茄子焼いて冷やしてたましいの話 池田澄子
水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』ののっぺらぼう。水木しげるマンガにおいてたましいは天ぷらとしてたべるための、かりかりさくさくふわふわもちもちなものとしてあらわれる。わたしは基本的に水木しげるの妖怪の図像化は食文化との関連が深いのではないかとおもう。独特ないっぽんいっぽんの歯の描き方とか。あれはひとを食べるための歯ではなく、食べ物を残さずたべるための歯だ。
たましいをてんぷらにするためにメリケン粉につけるのっぺらぼうのフィギュア。当時、フィギュアの写真をのせる際によくわからない加工をしていました。たましいがずれていたんでしょう。ちなみにある学祭にはアイスクリームのてんぷらというのがいつも出ていて私はよくたましいのてんぷらじゃないかこれと思っていました。
ボーイングに乗らなかったほうの渡辺徹。昔から渡辺徹が好きでラジオをよく聴いていた(地球ドラマチックも観続けている)。さいきんはシェイクスピアの舞台『トロイラスとクレシダ』ですごくいい味をだしていた。
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