【お知らせ】「【短詩時評 第六羽】俳誌『オルガン』の墜落(Fall)する俳句を読む-ときどきは未知の暴力的出来事(Violent Unkown Event)を暴力的に思い出しながら-」『BLOG俳句新空間 第30号』
- 2015/11/13
- 00:00
『 BLOG俳句新空間 第30号』にて「【短詩時評 第六羽】俳誌『オルガン』の墜落(Fall)する俳句を読む-ときどきは未知の暴力的出来事(Violent Unkown Event)を暴力的に思い出しながら-」という文章を載せていただきました。『BLOG俳句新空間』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
をあきのかぜと書く 裂け目 福田若之
今回はこの福田さんの句からじぶんなりに言語の〈裂け目〉や〈墜落〉とはなにかということを考えてみました。
この 句は『オルガン』(3号・2015年11月)の福多田さんの連作「書き出し あるいは始まるかという問いの欠如に伴う頭からの墜落」の始まりの句なんですが、みてわかるように、はじめがもう欠けているんですよね。
そこで出てくる問題は、ひとはどうやったら始めることができるのか、或いは、ひとはどうして始めてしまうのか、或いは、そんなにもひとは始めなくてはいけないのか、という問題なんじゃないかとおもうんですね。
定型は、あるみかたから考えれば、〈始めなさい〉という発話の強制=矯正なわけです。《上五ではじめよ、さすれば汝はつづけられるだろう(中七へ)》という強制のようにも、おもう。
でも、そこで始めなかったら、なにが起こるんだろう。
墜落するんだろうか。それとも墜落しながらも、墜落してはじめてき気づくなにかがあるんだろうか。
岡崎京子さんがたしかこんなことを書いてましたよね。あたしは墜落する女の子が書きたいんだと。墜落する女の子をとおしたなにかが書きたいんだと。
『ヘルター・スケルター』では実際、身体改造していって極致までゆきついてしまった〈積極的墜落〉をする女の子がでてくる。
でもそのときどういう地平がひらけてくるのかを、岡崎京子マンガはかんがえていたんじゃないかともおもうんですよ。女の子を男性的枠組みで理想化・浪漫化しないで、男性的枠組みとはちがったかたちで〈受肉化〉させる、改造・ハイブリッド・モンスタラスな身体に書き換えてゆく。それは、じゃあ、なんの墜落になるのか。枠組みの墜落になるのか、言説の墜落になるのか、身体の墜落になるのか、それとも、ほんとうの〈女の子〉の始まりになるのか。 いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。それとも、そこまでしても、わたしたちはたったいちねんやそこらで、きょうあすで、そんなことがあったことすら、わすれてしまうのか。
記憶は、 Fall するのか。
いのちありすぎ秋晴に眼が濁る 田島健一
いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。一人の女の子の落ちかた。一人の女の子の駄目になりかた。それは別のありかたとして全て同じ私たちの。どこの街、どこの時間、誰だって。近頃の落ちかた。そういうものを。羽毛が、鳥のうぶ毛のような羽毛が、ふわふわと漂うような上昇しているのか下降しているのか、一見すると分からないような落ちかたがいい。でなかったら、たっぷりした水の中だとか。プールの底から太陽をみたことがあるかい? あの光。あの反射。そんなものが望ましいね。
岡崎京子『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
をあきのかぜと書く 裂け目 福田若之
今回はこの福田さんの句からじぶんなりに言語の〈裂け目〉や〈墜落〉とはなにかということを考えてみました。
この 句は『オルガン』(3号・2015年11月)の福多田さんの連作「書き出し あるいは始まるかという問いの欠如に伴う頭からの墜落」の始まりの句なんですが、みてわかるように、はじめがもう欠けているんですよね。
そこで出てくる問題は、ひとはどうやったら始めることができるのか、或いは、ひとはどうして始めてしまうのか、或いは、そんなにもひとは始めなくてはいけないのか、という問題なんじゃないかとおもうんですね。
定型は、あるみかたから考えれば、〈始めなさい〉という発話の強制=矯正なわけです。《上五ではじめよ、さすれば汝はつづけられるだろう(中七へ)》という強制のようにも、おもう。
でも、そこで始めなかったら、なにが起こるんだろう。
墜落するんだろうか。それとも墜落しながらも、墜落してはじめてき気づくなにかがあるんだろうか。
岡崎京子さんがたしかこんなことを書いてましたよね。あたしは墜落する女の子が書きたいんだと。墜落する女の子をとおしたなにかが書きたいんだと。
『ヘルター・スケルター』では実際、身体改造していって極致までゆきついてしまった〈積極的墜落〉をする女の子がでてくる。
でもそのときどういう地平がひらけてくるのかを、岡崎京子マンガはかんがえていたんじゃないかともおもうんですよ。女の子を男性的枠組みで理想化・浪漫化しないで、男性的枠組みとはちがったかたちで〈受肉化〉させる、改造・ハイブリッド・モンスタラスな身体に書き換えてゆく。それは、じゃあ、なんの墜落になるのか。枠組みの墜落になるのか、言説の墜落になるのか、身体の墜落になるのか、それとも、ほんとうの〈女の子〉の始まりになるのか。 いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。それとも、そこまでしても、わたしたちはたったいちねんやそこらで、きょうあすで、そんなことがあったことすら、わすれてしまうのか。
記憶は、 Fall するのか。
いのちありすぎ秋晴に眼が濁る 田島健一
いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。一人の女の子の落ちかた。一人の女の子の駄目になりかた。それは別のありかたとして全て同じ私たちの。どこの街、どこの時間、誰だって。近頃の落ちかた。そういうものを。羽毛が、鳥のうぶ毛のような羽毛が、ふわふわと漂うような上昇しているのか下降しているのか、一見すると分からないような落ちかたがいい。でなかったら、たっぷりした水の中だとか。プールの底から太陽をみたことがあるかい? あの光。あの反射。そんなものが望ましいね。
岡崎京子『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』
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