【感想】炎天に洗われているアスファルトこれがコンビニまでの道行き ふらみらり
- 2015/11/13
- 00:40
炎天に洗われているアスファルトこれがコンビニまでの道行き ふらみらり
むかしむかしこの世界にはコンビニがなかった。
コンビニはむかしむかし、うちの会社に代々伝わる言い伝えによれば、ある新月の晩に天から突然飛来しら謎の飛行物体、コンビニ店舗の形した飛行物体が煌々と輝く蛍光灯の光とともに雲の切れ間からすがたをあらわしたかとおもったら、今でいう千葉の九十九里あたりだという説もあるし宮崎の高千穂の辺だっていう説も諸説あるけどそこに降り立ったという、それがスマイルファクトリー第一号店だというのがまあ、うちの会社に伝わる言い伝えだ。それからなんだよ人類がコンビニのある生活を享受できるようになったのはな。 岡田利規「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」『悲劇喜劇』2015/1
【コンビニと詩のうずまき】
いつもコンビニにゆくたびに思うんですが、コンビニにゆくための〈道〉ってけっこう特別なんじゃないかとおもうんですね。
コンビニエンス(便益・便利)のためにコンビニにむかっているわけですよね。
なのに、この〈道〉はなんだ、っておもうわけです。
このときどきはけわしい、あつい、つめたい、あらしの、ぼうりょくの、いぬの、やわらかい、かたい、よくどうてきな、さびしい、ひとけのない、こいびとたちばかりの、まっくらな、ほしぞらの、あさやけの、この道はなんだと。
だから、コンビニまでの道って特別なロードだとおもうんですよ。シルクロードみたいな。よくわかってはいないけれど。
逆説的だとおもうんですよね、コンビニだけど道だけはコンビニエンスじゃないぞっていう。だから、ふらみらりさんの歌で「道行き」ってなっている、それがひとつの〈ジャーニー〉みたいな重さを感じさせることばが採用されているのがおもしろいなっておもうんですよ。しかも「これが」とふだんみなれている道をもういちど再認識しているんですよね。「これがコンビニまでの道行き」なんだと。
コンビニという画一化された建築物までの〈道行き〉にも「炎天に洗われている」という〈風景〉が見いだせてしまう。いまや、コンビニは〈詩〉の領域に食い込んでいる。それがよくわかる歌なんじゃないかとおもうんです。
コンビニがつくっている詩的うずまき。
うずまきに引きずり込まれてゆくような眠り方を目指しています ふらみらり
ともかくむかしむかし、天から降り立ったコンビニな、それが変えたんだよ人類を。人類を、深夜小腹減ったって問題から救った、それから、夜道暗くてこれ心細いぞって問題からも救った、くわえて、どこでバイトしたらいいんだ問題、僕のわたしのバイトできるとこありません問題からも救った、ようするに、人類のすべての問題を、コンビニは解決したってことだ! 岡田利規「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」『悲劇喜劇』2015/1
岡田利規・チェルフィッチュ『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』(2014)。このチェルフィッチュの演劇では、コンビニがめいめいの〈神話〉として描き出されていくのがバッハの曲で構造化されながら語られていきます。大事なのは、コンビニがいまや神話を生み出す生成装置になっているんだっていうことなんじゃないかとおもうんです。それは、戦争とか歴史とかの大きな物語ではなくて、ほんとうにちいさななんでもないことから神話が生まれてしまう(それはチェルフィッチュのつねに無意味なからだの動きとも並行している)。チェルフィッチュの『三月の5日間』もアメリカが仕掛けたイラク戦争のあいだずっと渋谷のラブホに泊まりこみ続けてセックスをしているカップルの話なんだけれども、そこではラブホの〈ゆきずりのどうでもいいセックス〉が神話になっていく。戦争よりも、ラブホの一室が〈どうでもいいこと〉として〈神話〉化されていく
むかしむかしこの世界にはコンビニがなかった。
コンビニはむかしむかし、うちの会社に代々伝わる言い伝えによれば、ある新月の晩に天から突然飛来しら謎の飛行物体、コンビニ店舗の形した飛行物体が煌々と輝く蛍光灯の光とともに雲の切れ間からすがたをあらわしたかとおもったら、今でいう千葉の九十九里あたりだという説もあるし宮崎の高千穂の辺だっていう説も諸説あるけどそこに降り立ったという、それがスマイルファクトリー第一号店だというのがまあ、うちの会社に伝わる言い伝えだ。それからなんだよ人類がコンビニのある生活を享受できるようになったのはな。 岡田利規「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」『悲劇喜劇』2015/1
【コンビニと詩のうずまき】
いつもコンビニにゆくたびに思うんですが、コンビニにゆくための〈道〉ってけっこう特別なんじゃないかとおもうんですね。
コンビニエンス(便益・便利)のためにコンビニにむかっているわけですよね。
なのに、この〈道〉はなんだ、っておもうわけです。
このときどきはけわしい、あつい、つめたい、あらしの、ぼうりょくの、いぬの、やわらかい、かたい、よくどうてきな、さびしい、ひとけのない、こいびとたちばかりの、まっくらな、ほしぞらの、あさやけの、この道はなんだと。
だから、コンビニまでの道って特別なロードだとおもうんですよ。シルクロードみたいな。よくわかってはいないけれど。
逆説的だとおもうんですよね、コンビニだけど道だけはコンビニエンスじゃないぞっていう。だから、ふらみらりさんの歌で「道行き」ってなっている、それがひとつの〈ジャーニー〉みたいな重さを感じさせることばが採用されているのがおもしろいなっておもうんですよ。しかも「これが」とふだんみなれている道をもういちど再認識しているんですよね。「これがコンビニまでの道行き」なんだと。
コンビニという画一化された建築物までの〈道行き〉にも「炎天に洗われている」という〈風景〉が見いだせてしまう。いまや、コンビニは〈詩〉の領域に食い込んでいる。それがよくわかる歌なんじゃないかとおもうんです。
コンビニがつくっている詩的うずまき。
うずまきに引きずり込まれてゆくような眠り方を目指しています ふらみらり
ともかくむかしむかし、天から降り立ったコンビニな、それが変えたんだよ人類を。人類を、深夜小腹減ったって問題から救った、それから、夜道暗くてこれ心細いぞって問題からも救った、くわえて、どこでバイトしたらいいんだ問題、僕のわたしのバイトできるとこありません問題からも救った、ようするに、人類のすべての問題を、コンビニは解決したってことだ! 岡田利規「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」『悲劇喜劇』2015/1
岡田利規・チェルフィッチュ『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』(2014)。このチェルフィッチュの演劇では、コンビニがめいめいの〈神話〉として描き出されていくのがバッハの曲で構造化されながら語られていきます。大事なのは、コンビニがいまや神話を生み出す生成装置になっているんだっていうことなんじゃないかとおもうんです。それは、戦争とか歴史とかの大きな物語ではなくて、ほんとうにちいさななんでもないことから神話が生まれてしまう(それはチェルフィッチュのつねに無意味なからだの動きとも並行している)。チェルフィッチュの『三月の5日間』もアメリカが仕掛けたイラク戦争のあいだずっと渋谷のラブホに泊まりこみ続けてセックスをしているカップルの話なんだけれども、そこではラブホの〈ゆきずりのどうでもいいセックス〉が神話になっていく。戦争よりも、ラブホの一室が〈どうでもいいこと〉として〈神話〉化されていく
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