【短歌】コンタクト…/虹だから…(毎日新聞・毎日歌壇2015年11月16日・米川千嘉子 選・特選/加藤治郎 選)
- 2015/11/16
- 06:37
コンタクト嵌めたカーネル・サンダース 深夜にふっと一歩歩きだす 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2015年11月16日・米川千嘉子 選・特選)
【米川千嘉子さんから頂いた選評】フライドチキンの店の前に立つ眼鏡のおじいさん。眼鏡をとってそっと夜の街をさまようこともあるかも。
カーネル・サンダーズは重々しく何度かうなずいた。そしてあご髭を意味ありげに撫でた。「そうだ。まず入れ入れが大事なんだ。儀式みたいなもんだ。まずは入れ入れ、石のことはそのあとで話そう。ホシノちゃん、この子はきっと気に入ると思うね。うちの掛け値なしのナンバーワンなんだ。おっぱいむちむち、肌はつるつる、腰はくねくね、あそこはぐしょぐしょ、パリンパリンのセックス・マシンだ。車にたとえるならば、まさにベッドの四輪駆動、踏み込めば愛欲のターボ、指が包むは怒濤のシフトノブ、さあコーナーだ、とろけるギアチェンジ、よしきた追い越し車線まっしぐら、行くぞ、行くぞ、ホシノちゃん見事に大昇天だ」
「おじさん、けっこうユニークなキャラクターしてるね」と青年は感心して言った。 村上春樹『海辺のカフカ』
【カーネル・サンダース再襲撃】
二子玉川の双子のカーネル・サンダースをみていたときに、カーネル・サンダースってなんだろうって思って、で、それは不二家のペコちゃんやマクドナルドのドナルドとはちがうものだろうとおもうんですね。
ペコちゃんも、ドナルドも、キャラクター化されている。ペコちゃんは等身がデフォルメされているし、ドナルドはペルソナというか仮装ですね(だからこわさもあるんだろうけれども)。
でも、カーネル・サンダースの場合、眼鏡をちゃんと掛けている(眼鏡は店によってひとつひとつ違うらしい)。
眼鏡をきちんと掛けているっていうのは、キャラクター化しきれてないってことなんじゃないかとおもうんですよ。どこかで、かれは、生活をしようとしている。
で、サンダースは、等身大で、ほとんどデフォルメもされていない。
だからたとえば村上春樹の小説で過剰なデフォルメのもとに「サンダーズ」が出てきたときに、位相が少しずらされるだけの奇妙な質感があるとおもうんです。それはキャラクターがデフォルメされたセリフをいっている非現実感ではなくて、どこかでサンダーズがそういうかもしれないという現実感(ちなみに村上春樹は「パン屋再襲撃」でマクドナルドも取り扱っていますが、マクドナルドやケンタッキーどちらも共通しているのは、〈暴力〉の匂いです)。
カーネル・サンダースのそういうデフォルメしきれないふかしぎさのようなものがあるように、おもうんですよ。で、それは、じっと、よくみたときの、かれの、リアルな、精細な、詳細な、眼鏡にあるんじゃないか。
このひとは、〈みられる〉だけでなく、わたしたちを〈みよう〉ともしているんだと。そうして、それは、チキンとは、なんの関係もないじゃないか、とも。もちろん、虹とも。
虹だからぬるぬるしててあたたかく踏めばぱりぱり音もするのね 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2015年11月16日・加藤治郎 選)
育つあたま死にゆくあたま頭抱けば夏はあかくて眠たかりけり 米川千嘉子
ふゆのひは蜜の滲んだカーテンをたばねてきみはこころぼそいな 加藤治郎
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