【ふしぎな川柳 第二十一夜】さよならは、愉しい-いわさき楊子-
- 2015/11/19
- 01:00
言い訳がはずまないよう気をつける いわさき楊子
フェイドアウトはイエローサブマリンで 〃
【わたしはどうも愉しい(らしい)】
いわさきさんの豆本句集『らしきものたち』(2015)からの二句です。
いわさきさんの川柳のなかの〈さよなら〉ってたのしいものであるようにおもうんですよね。
いわさきさんには次のような句もあります。
去るときにスキップしないようにする いわさき楊子
「言い訳」とは、事後的にいつも遅れてやってくる言語のためのメタ言語なわけですが、そしてそれは〈いま・ここ〉の場を言説によって切り抜けようとするひとつの〈さようなら〉なわけですが、そのときに、つい、はずみそうになる。こころおどりそうになる。
これは、さよならの愉しさに気がついているからではないかとおもうんですよ。
フェイドアウトのときに、「イエローサブマリン」というビートルズのデフォルメされた潜水艦(それはもはや隠密のための軍事兵器ではなくひまわりのように目立つためのマスコット)が出てくるための、さよならの愉しさが通底しているように、おもう。
いわさきさんの川柳においては、語り手がさよならの愉しさや嬉しさについて気がついている。しかも、それはメッセージではなく、「はずまないよう」「スキップしないように」といった〈抑圧〉を通して、反言説として気がつくのです。ほんとうは、はずんでいる、スキップしている、けれどもそうしないようにしながら、そうしようとしていること。だからそこには〈らしきもの〉としての定位がある。そうらしいけれども、そうらしいものでしかない〈感情〉や〈身振り〉。けれども、それは抑圧をやぶり、あるときあらわになるかもしれないもの。
〈愉しい〉っていう〈身振り〉はいつもそうした逆説的な反言説によってしか、あらわしえないのではないでしょうか。
そのひとがきちんと座りながらも、うきうきしているのがわかったら、それはやはりそのひとが〈愉しさ〉を感じているということだと、おもうんですよ。
そういう反言説を通してひとはじぶんじしんや他者を知るような気がするんです。それがたとえ〈さよなら〉のときでも。
だから、そうしたことに気がつくために、ときどきは、
身の丈にあわぬ竹輪を買ってくる いわさき楊子
ダニング『イエロー・サブマリン』(1968)。ビートルズのアニメ音楽映画なんだけれども、非常にサイケデリックな色彩豊かな、形や輪郭もぐしゃぐしゃな映画になっています(風邪薬を飲んでみている世界のような)。で、ひとつ思うのは、〈色〉がカウンターカルチャーになっていた時代があったんじゃないかっていうことです(同じ時代のリチャード・ブローティガンの『西瓜糖の世界』にも〈色〉がテーマになってあちこちにいろんな色があふれています)。たとえば、戦争のための迷彩服をみてもわかるし、或いは〈赤狩り〉っていうことばもあったように、戦争や政治って〈色の政治学〉でもあるわけですよね。そのときに、一色に固定するのではなく、色の無政府状態をつくる(その意味でこの映画で敵が青一色になっているのは興味深い)。そういうものとして、ビートルズの〈イエロー〉サブマリンという黄色い潜水艦があるようにも、おもう。
フェイドアウトはイエローサブマリンで 〃
【わたしはどうも愉しい(らしい)】
いわさきさんの豆本句集『らしきものたち』(2015)からの二句です。
いわさきさんの川柳のなかの〈さよなら〉ってたのしいものであるようにおもうんですよね。
いわさきさんには次のような句もあります。
去るときにスキップしないようにする いわさき楊子
「言い訳」とは、事後的にいつも遅れてやってくる言語のためのメタ言語なわけですが、そしてそれは〈いま・ここ〉の場を言説によって切り抜けようとするひとつの〈さようなら〉なわけですが、そのときに、つい、はずみそうになる。こころおどりそうになる。
これは、さよならの愉しさに気がついているからではないかとおもうんですよ。
フェイドアウトのときに、「イエローサブマリン」というビートルズのデフォルメされた潜水艦(それはもはや隠密のための軍事兵器ではなくひまわりのように目立つためのマスコット)が出てくるための、さよならの愉しさが通底しているように、おもう。
いわさきさんの川柳においては、語り手がさよならの愉しさや嬉しさについて気がついている。しかも、それはメッセージではなく、「はずまないよう」「スキップしないように」といった〈抑圧〉を通して、反言説として気がつくのです。ほんとうは、はずんでいる、スキップしている、けれどもそうしないようにしながら、そうしようとしていること。だからそこには〈らしきもの〉としての定位がある。そうらしいけれども、そうらしいものでしかない〈感情〉や〈身振り〉。けれども、それは抑圧をやぶり、あるときあらわになるかもしれないもの。
〈愉しい〉っていう〈身振り〉はいつもそうした逆説的な反言説によってしか、あらわしえないのではないでしょうか。
そのひとがきちんと座りながらも、うきうきしているのがわかったら、それはやはりそのひとが〈愉しさ〉を感じているということだと、おもうんですよ。
そういう反言説を通してひとはじぶんじしんや他者を知るような気がするんです。それがたとえ〈さよなら〉のときでも。
だから、そうしたことに気がつくために、ときどきは、
身の丈にあわぬ竹輪を買ってくる いわさき楊子
ダニング『イエロー・サブマリン』(1968)。ビートルズのアニメ音楽映画なんだけれども、非常にサイケデリックな色彩豊かな、形や輪郭もぐしゃぐしゃな映画になっています(風邪薬を飲んでみている世界のような)。で、ひとつ思うのは、〈色〉がカウンターカルチャーになっていた時代があったんじゃないかっていうことです(同じ時代のリチャード・ブローティガンの『西瓜糖の世界』にも〈色〉がテーマになってあちこちにいろんな色があふれています)。たとえば、戦争のための迷彩服をみてもわかるし、或いは〈赤狩り〉っていうことばもあったように、戦争や政治って〈色の政治学〉でもあるわけですよね。そのときに、一色に固定するのではなく、色の無政府状態をつくる(その意味でこの映画で敵が青一色になっているのは興味深い)。そういうものとして、ビートルズの〈イエロー〉サブマリンという黄色い潜水艦があるようにも、おもう。
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