【ふしぎな川柳 第二十五夜】大いなる困惑-内田万貴-
- 2015/11/19
- 23:18
ポストです鳥の行方を聞かれても 内田万貴
赤いポストがある。「ああ、赤いポストだ」と思っている人間の脇で、世界中の他の人間が「いや、このポストは青だよ」と言えば、赤いポストだと思う人間の気は簡単に狂わすことが出来る。創作にのぞむ時の状態は、この時、それでもこのポストは赤いと言い張ることに似ている。 岩松了
【大いなる困惑】
清水かおりさん発行の『川柳木馬』146号から内田さんの句です。
川柳のひとつの主調音に、世界に存在している〈困惑〉をさがす、っていうのがあるとおもうんですよ。
たとえばこの句だと、「ポスト」が困惑していますよね。いや、そんなこと俺にきかれても、ちょっと、って。「聞かれても」ポストにはわからないことだし、鳥の行方を知悉しておくことはポストの役割じゃないわけですよ。
となるとですよ、川柳はどういう世界の機構に関心をもっているかというと、《本来はその役割じゃないのにある役割を恣意的に相手に与え困惑させること》に川柳は関心をもっているわけですよ。
おなじ『川柳木馬』からこんな困惑の句も引いてみましょう。
検非違使は何とするのかはずれた顎 大野美恵
当時は〈検察官〉としての役割をもつ「検非違使」の顎がはずれてしまう。顎がはずれたときに、検非違使はどうするのか。それは、検非違使という役割とどれくらい関わりがあり、どれくらい逸れているのか。そういう、カテゴリーの困惑(カテゴリー・ミステイク)がここにもありますよね。
どうして現代川柳が世界にそれまで存在しなかった困惑を積極的に生成しようとしているのか、それはわからないんですよ。でも、なぜか現代川柳は〈困惑の王国〉をひとしれず築きあげようとしている。
そのことに気がついたとき、わたしも大いに困惑しました。
そうして、わたしはあえてそれを総括的評価とするために名詞化し、じぶんじしんにこう言い直してみたのです。
これは大いなる困惑である、と。
総括的評価としてのたまご焼き 内田万貴
大友克洋『MEMORIES』(1995)。「彼女の想い出」「最臭兵器」「大砲の街」の三つの作風が異なる短編アニメからなる映画なんですが、このみっつに共通しているものが〈困惑〉だとおもうんですね。永遠に宇宙船のなかにこだましている死者の記憶、ある日とつぜん我が身が兵器化してしまった凡人、なんのために戦争しているか誰ひとりとしてわからない街で虚妄の英雄を胸に抱いて暮らす少年。ここには、それぞれの場所における、めいめいの〈困惑〉があるとおもうんですよね、なんのためなんだろう、いったいどうして、っていう。シャーロック・ホームズが〈勘違いの悲惨な事件〉である「ボール箱」の最後に「この意味はなんなのだろう。この暴力と苦難とかなしみの循環の目的は?」と問いかけていますが、〈困惑〉することによってそれまで所与とされていたものが問い直される。その〈問い直し〉こそが、平凡ではあるけれど、ささやかな新規蒔き直しだともおもうんですよ。新規蒔き直しを切望していたワーニャおじさんが唯一できなかったこと、それは、〈困惑〉だったんじゃないか。
赤いポストがある。「ああ、赤いポストだ」と思っている人間の脇で、世界中の他の人間が「いや、このポストは青だよ」と言えば、赤いポストだと思う人間の気は簡単に狂わすことが出来る。創作にのぞむ時の状態は、この時、それでもこのポストは赤いと言い張ることに似ている。 岩松了
【大いなる困惑】
清水かおりさん発行の『川柳木馬』146号から内田さんの句です。
川柳のひとつの主調音に、世界に存在している〈困惑〉をさがす、っていうのがあるとおもうんですよ。
たとえばこの句だと、「ポスト」が困惑していますよね。いや、そんなこと俺にきかれても、ちょっと、って。「聞かれても」ポストにはわからないことだし、鳥の行方を知悉しておくことはポストの役割じゃないわけですよ。
となるとですよ、川柳はどういう世界の機構に関心をもっているかというと、《本来はその役割じゃないのにある役割を恣意的に相手に与え困惑させること》に川柳は関心をもっているわけですよ。
おなじ『川柳木馬』からこんな困惑の句も引いてみましょう。
検非違使は何とするのかはずれた顎 大野美恵
当時は〈検察官〉としての役割をもつ「検非違使」の顎がはずれてしまう。顎がはずれたときに、検非違使はどうするのか。それは、検非違使という役割とどれくらい関わりがあり、どれくらい逸れているのか。そういう、カテゴリーの困惑(カテゴリー・ミステイク)がここにもありますよね。
どうして現代川柳が世界にそれまで存在しなかった困惑を積極的に生成しようとしているのか、それはわからないんですよ。でも、なぜか現代川柳は〈困惑の王国〉をひとしれず築きあげようとしている。
そのことに気がついたとき、わたしも大いに困惑しました。
そうして、わたしはあえてそれを総括的評価とするために名詞化し、じぶんじしんにこう言い直してみたのです。
これは大いなる困惑である、と。
総括的評価としてのたまご焼き 内田万貴
大友克洋『MEMORIES』(1995)。「彼女の想い出」「最臭兵器」「大砲の街」の三つの作風が異なる短編アニメからなる映画なんですが、このみっつに共通しているものが〈困惑〉だとおもうんですね。永遠に宇宙船のなかにこだましている死者の記憶、ある日とつぜん我が身が兵器化してしまった凡人、なんのために戦争しているか誰ひとりとしてわからない街で虚妄の英雄を胸に抱いて暮らす少年。ここには、それぞれの場所における、めいめいの〈困惑〉があるとおもうんですよね、なんのためなんだろう、いったいどうして、っていう。シャーロック・ホームズが〈勘違いの悲惨な事件〉である「ボール箱」の最後に「この意味はなんなのだろう。この暴力と苦難とかなしみの循環の目的は?」と問いかけていますが、〈困惑〉することによってそれまで所与とされていたものが問い直される。その〈問い直し〉こそが、平凡ではあるけれど、ささやかな新規蒔き直しだともおもうんですよ。新規蒔き直しを切望していたワーニャおじさんが唯一できなかったこと、それは、〈困惑〉だったんじゃないか。
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