【ふしぎな川柳 第三十三夜】ただしくなくて、いい-久保田紺-
- 2015/11/25
- 06:05
傾いたままで結構はしれます 久保田紺
【ペンギンに気をつけろ!】
久保田さんの川柳のモチーフのひとつに、〈正しくなくていい〉っていうのがあるようにおもうんですね。
「傾いたままで結構はしれます」という句には、まず①「傾いたままで」いい、という傾きの不正、それから②「結構」という完徹じゃなくていい、という程度の不正、そして③「はしれます」という完璧な走行でなくても部分的可能走行でいいという完全さの不正のみっつの不正の受容があるようにおもうんですよね。
いつも思うんだけれど、川柳にとっては問題は〈正しさ〉を裁断することではなくて、本来的に〈正しくない〉世界を、にもかかわらず、17音で《どう》受容するのか、ということがいつも賭けられているようにおもうんです。
わたしは傾いたままでしか走れないんだけれどどうしましょう、となったときに、それが善いか悪いかではなく、「傾いたままで結構はしれます」という《受容》の姿勢です。
だから川柳の世界では身体のこうであらねばならない正しさ、身体のポリティカル・コレクトネスも、ない。
別に身体がアナーキーな状態であってもいい。
それは川柳はとくにおどろかない。じぶんの身体も無政府状態かもしれないし。だから、平淡に記述する。
ひし形の人が電車を降りてくる 久保田紺
ニック・パーク『ウォレスとグルミット』。クレイアニメという粘土でつくるアニメーションのジャンルがありますよね。ヴィントンやニック・パークなんかの少し手垢で汚れながらも微妙な皺やひだが刻まれていくのがクレイアニメの魅力だと思うんですが、クレイアニメのひとつの身体観に、身体はどんな形だっていい、っていう身体の無政府状態の肯定があるとおもうんですね。粘土ですからどんな身体にも変幻自在なんだけれども、それでも意味のコードとして人型(ヒトガタ)を守らなくちゃならないときにじゃあそもそも身体ってなんだろうって問題が必ず出てくる。もちろん、身体にとって〈死〉の境界はどこにあるんだろう、も。
【ペンギンに気をつけろ!】
久保田さんの川柳のモチーフのひとつに、〈正しくなくていい〉っていうのがあるようにおもうんですね。
「傾いたままで結構はしれます」という句には、まず①「傾いたままで」いい、という傾きの不正、それから②「結構」という完徹じゃなくていい、という程度の不正、そして③「はしれます」という完璧な走行でなくても部分的可能走行でいいという完全さの不正のみっつの不正の受容があるようにおもうんですよね。
いつも思うんだけれど、川柳にとっては問題は〈正しさ〉を裁断することではなくて、本来的に〈正しくない〉世界を、にもかかわらず、17音で《どう》受容するのか、ということがいつも賭けられているようにおもうんです。
わたしは傾いたままでしか走れないんだけれどどうしましょう、となったときに、それが善いか悪いかではなく、「傾いたままで結構はしれます」という《受容》の姿勢です。
だから川柳の世界では身体のこうであらねばならない正しさ、身体のポリティカル・コレクトネスも、ない。
別に身体がアナーキーな状態であってもいい。
それは川柳はとくにおどろかない。じぶんの身体も無政府状態かもしれないし。だから、平淡に記述する。
ひし形の人が電車を降りてくる 久保田紺
ニック・パーク『ウォレスとグルミット』。クレイアニメという粘土でつくるアニメーションのジャンルがありますよね。ヴィントンやニック・パークなんかの少し手垢で汚れながらも微妙な皺やひだが刻まれていくのがクレイアニメの魅力だと思うんですが、クレイアニメのひとつの身体観に、身体はどんな形だっていい、っていう身体の無政府状態の肯定があるとおもうんですね。粘土ですからどんな身体にも変幻自在なんだけれども、それでも意味のコードとして人型(ヒトガタ)を守らなくちゃならないときにじゃあそもそも身体ってなんだろうって問題が必ず出てくる。もちろん、身体にとって〈死〉の境界はどこにあるんだろう、も。
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