【ふしぎな川柳 第三十七夜】それじゃない-徳永政二-
- 2015/11/28
- 20:53
犬小屋の中に入ってゆく鎖 徳永政二
【フッサールがみた犬小屋の鎖】
さいきん道を歩きながらこの川柳についてずっとかんがえていたんですよ。犬をつれて散歩しているひとが、いる。なぜ、徳永さんの句は、犬ではなく、鎖に意識を傾けたのか。
語り手は強く鎖にひかれている。意識をそそいでいる。結語が「鎖」なので、これはもうほんとに鎖の句なんですよ。おおいに語られている「鎖」です。
で、おもうのは、意識が逸れているひとが、いる、ということです。
意識の支点をずらすひとがいる、といえばいいのか。
語り手は犬には興味がわかなかった。もしくは犬が犬小屋に入ってしまったあとで、がぜん、世界にきょうみがわいてきた。くさりが動いていたから。
もしかしたら、語り手は地球にやってきたばかりのスターマンのように、まだ地球のことをぜんぜん知らない場合だってありえますよね。
だから、鎖がうごいていることにきょうみをもった。なんで鎖がうごいているのか理解できなかった。犬と鎖の連絡はまだ語り手のなかで、《連絡》できていなかった。
世界は、はじまったばかりです。
鎖がいつか止まるときもでてくるでしょう。
そのとき、語り手は、世界の《なに》を認識するのか。
でも、たぶんそのときも語り手の意識は、みんなとはちょっと、逸れている。
春がくる河馬のとなりに河馬がいる 徳永政二
山田洋次『男はつらいよ』(1969)。『男はつらいよ』って〈意識が逸脱〉する物語なんですよ。〈意識の逸脱〉を何十年もかけて続けたひとりの〈男〉の物語なんです。でも大事なのは、〈意識の逸脱〉が主調音なので、〈男であること〉からも逸脱してしまう。なにか主体化しようとしたしゅんかん、それが失敗してしまう。そしてそれが物語の駆動力になっていく。実はサザエさんも〈意識の逸脱〉の物語なんじゃないかとおもう。主体化に失敗することって〈永続〉のキーワードだとおもうんですよ。だから、お姫さまになれたら童話はおわるんですよね。主体化の完了として。
【フッサールがみた犬小屋の鎖】
さいきん道を歩きながらこの川柳についてずっとかんがえていたんですよ。犬をつれて散歩しているひとが、いる。なぜ、徳永さんの句は、犬ではなく、鎖に意識を傾けたのか。
語り手は強く鎖にひかれている。意識をそそいでいる。結語が「鎖」なので、これはもうほんとに鎖の句なんですよ。おおいに語られている「鎖」です。
で、おもうのは、意識が逸れているひとが、いる、ということです。
意識の支点をずらすひとがいる、といえばいいのか。
語り手は犬には興味がわかなかった。もしくは犬が犬小屋に入ってしまったあとで、がぜん、世界にきょうみがわいてきた。くさりが動いていたから。
もしかしたら、語り手は地球にやってきたばかりのスターマンのように、まだ地球のことをぜんぜん知らない場合だってありえますよね。
だから、鎖がうごいていることにきょうみをもった。なんで鎖がうごいているのか理解できなかった。犬と鎖の連絡はまだ語り手のなかで、《連絡》できていなかった。
世界は、はじまったばかりです。
鎖がいつか止まるときもでてくるでしょう。
そのとき、語り手は、世界の《なに》を認識するのか。
でも、たぶんそのときも語り手の意識は、みんなとはちょっと、逸れている。
春がくる河馬のとなりに河馬がいる 徳永政二
山田洋次『男はつらいよ』(1969)。『男はつらいよ』って〈意識が逸脱〉する物語なんですよ。〈意識の逸脱〉を何十年もかけて続けたひとりの〈男〉の物語なんです。でも大事なのは、〈意識の逸脱〉が主調音なので、〈男であること〉からも逸脱してしまう。なにか主体化しようとしたしゅんかん、それが失敗してしまう。そしてそれが物語の駆動力になっていく。実はサザエさんも〈意識の逸脱〉の物語なんじゃないかとおもう。主体化に失敗することって〈永続〉のキーワードだとおもうんですよ。だから、お姫さまになれたら童話はおわるんですよね。主体化の完了として。
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