【ふしぎな川柳 第三十九夜】きょうは遠回りしよう―北山まみどり―
- 2015/12/08
- 12:15
遠回りとことん話し合うつもり 北山まみどり
【すぐそこの迂回】
『東北川柳連盟会報』25号からの一句です。
わたしは話し合うことって好きなんですが、ただ緊迫している状況のなかで〈話し合い〉ってなかなか有効じゃないことが多いようなきもするんですよ。
あいてが、激高してしまうばあいも、ある。かばんを地面にたたきつけてしまうおんなのこもいる。かばんを、大地に、たたきつける。
なんでだろう、ってかんがえたんだけれど(じぶんがわるいばあいもあるのかもしれないけれど)、もしかしたらそれは言葉が〈真理〉や〈正解〉をいいあてるツールやメディアとしてはそんなにふさわしくないんじゃないかっていうきもするんですよ。
むしろ、「遠回り」や「迂回」のためのツールとして言語はある。デリダやドゥルーズによれば、言語っていうのは〈ズレ〉ですから、〈正解〉や〈真理〉とはほどとおい。でも〈ズレ〉があるからこそ、決め打ちしないでつなげていけるものがあるんです。
歴史を決定することなく、なんども歴史を再吟味する。小さな歴史も、大きな歴史も。
だからこそ、話し合いって大事なんじゃないかとおもうんですよ。おもうんだけれども、でもかばんをたたきつけるこもいる。どうしよう、っておもう。
どう、しよう。
でも、わたしは、つ
言い訳はほどほどにって微炭酸 三浦ひとは
ゴダール『カルメンという名の女』(1983)。ゴダールの映画ってずっと言葉がずれていくんですね。ほとんど言葉が意味をもっていない。この映画でカルメンという名前がなんの権威ももたないように、言葉が権威やパワーをもたない。音楽もぶつぎりになることで意味がそれずれつづけていく。じゃあ、なにがちからをもつのか。観ることさえも、意味をもてない。脱力や脱臼、がゴダールの基本のようにおもえる。ちなみに画像は、この映画のシーンに似せてわたしが実際にテレビのノイズに手をかざしてやってみたものです(以前、『週刊俳句』にも載せてもらった画像です)。
【すぐそこの迂回】
『東北川柳連盟会報』25号からの一句です。
わたしは話し合うことって好きなんですが、ただ緊迫している状況のなかで〈話し合い〉ってなかなか有効じゃないことが多いようなきもするんですよ。
あいてが、激高してしまうばあいも、ある。かばんを地面にたたきつけてしまうおんなのこもいる。かばんを、大地に、たたきつける。
なんでだろう、ってかんがえたんだけれど(じぶんがわるいばあいもあるのかもしれないけれど)、もしかしたらそれは言葉が〈真理〉や〈正解〉をいいあてるツールやメディアとしてはそんなにふさわしくないんじゃないかっていうきもするんですよ。
むしろ、「遠回り」や「迂回」のためのツールとして言語はある。デリダやドゥルーズによれば、言語っていうのは〈ズレ〉ですから、〈正解〉や〈真理〉とはほどとおい。でも〈ズレ〉があるからこそ、決め打ちしないでつなげていけるものがあるんです。
歴史を決定することなく、なんども歴史を再吟味する。小さな歴史も、大きな歴史も。
だからこそ、話し合いって大事なんじゃないかとおもうんですよ。おもうんだけれども、でもかばんをたたきつけるこもいる。どうしよう、っておもう。
どう、しよう。
でも、わたしは、つ
言い訳はほどほどにって微炭酸 三浦ひとは
ゴダール『カルメンという名の女』(1983)。ゴダールの映画ってずっと言葉がずれていくんですね。ほとんど言葉が意味をもっていない。この映画でカルメンという名前がなんの権威ももたないように、言葉が権威やパワーをもたない。音楽もぶつぎりになることで意味がそれずれつづけていく。じゃあ、なにがちからをもつのか。観ることさえも、意味をもてない。脱力や脱臼、がゴダールの基本のようにおもえる。ちなみに画像は、この映画のシーンに似せてわたしが実際にテレビのノイズに手をかざしてやってみたものです(以前、『週刊俳句』にも載せてもらった画像です)。
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