【短歌】先生は…(「第93回 短歌ください(お題:先生)穂村弘 選」『ダ・ヴィンチ』2016年1月号)
- 2015/12/08
- 21:07
生命を恥じるとりわけ火に触れた指を即座に引っ込めるとき 工藤吉生
【短歌は、びっくりしている】
きょう、NHK短歌をみていたときに工藤さんの歌がでてきてすごくよい歌だなあとおもったんです(これは特選になるのではないかと思ったら特選歌でした)。わたしがこの歌ですごくよいなあと思ったのが「恥じる」という動詞の選択だったんです。
ここ、ふつうの流れでいくなら、「生命を感じる」とか「生命を知る」とか「生命にふれる」とかになりそうなかんじがするんだけれども、「恥じる」ときたので、この歌では「生命」が自然な流れとしてあるよりも、「生命」の流れが「恥じる」で一気呵成にせき止められる。
「生命」じたいが問われることになるとおもうんですよ。なぜ〈わたし〉は〈恥じ〉ているのか、そもそも〈恥じらい〉を感じる生命とはなんなのか、生命と含羞との関係は? といったことなど生命をめぐるわたしとのかかわり。
だから語り手は「生命」にびっくりしてるんだとおもうんですよ。じぶんの「生命」に。あらためて。うまれたてみたいに。
「恥ずかしい」ってあらためてびっくりすることだとおもうんです。たとえば、ひとが全裸で恥ずかしいときには、なぜじぶんはいまこの部屋で全裸でいるのか、とかあらためてびっくりしているわけですよね。なにをしているのかと。
そんなふうに短歌はときどき〈びっくり〉していることがある。
だから、あらためて「先生はほんとはなにをしてるひと?」ときかれた〈わたし〉もびっくりを、する。
先生はほんとはなにをしてるひと? きわどいことをきいてくるなきみ 柳本々々
(「第93回 短歌ください(お題:先生)穂村弘 選」『ダ・ヴィンチ』2016年1月号)
【短歌は、びっくりしている】
きょう、NHK短歌をみていたときに工藤さんの歌がでてきてすごくよい歌だなあとおもったんです(これは特選になるのではないかと思ったら特選歌でした)。わたしがこの歌ですごくよいなあと思ったのが「恥じる」という動詞の選択だったんです。
ここ、ふつうの流れでいくなら、「生命を感じる」とか「生命を知る」とか「生命にふれる」とかになりそうなかんじがするんだけれども、「恥じる」ときたので、この歌では「生命」が自然な流れとしてあるよりも、「生命」の流れが「恥じる」で一気呵成にせき止められる。
「生命」じたいが問われることになるとおもうんですよ。なぜ〈わたし〉は〈恥じ〉ているのか、そもそも〈恥じらい〉を感じる生命とはなんなのか、生命と含羞との関係は? といったことなど生命をめぐるわたしとのかかわり。
だから語り手は「生命」にびっくりしてるんだとおもうんですよ。じぶんの「生命」に。あらためて。うまれたてみたいに。
「恥ずかしい」ってあらためてびっくりすることだとおもうんです。たとえば、ひとが全裸で恥ずかしいときには、なぜじぶんはいまこの部屋で全裸でいるのか、とかあらためてびっくりしているわけですよね。なにをしているのかと。
そんなふうに短歌はときどき〈びっくり〉していることがある。
だから、あらためて「先生はほんとはなにをしてるひと?」ときかれた〈わたし〉もびっくりを、する。
先生はほんとはなにをしてるひと? きわどいことをきいてくるなきみ 柳本々々
(「第93回 短歌ください(お題:先生)穂村弘 選」『ダ・ヴィンチ』2016年1月号)
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