【ふしぎな川柳 第四十二夜】知らんけど-谷じゃこ-
- 2015/12/09
- 13:18
To be or not to be. 知らんけど 谷じゃこ
【川柳は無責任に親しい】
じゃこさんの川柳ネットプリントからの一句です。
前からちょっと気になっていたことなんですが、川柳って無責任が好きらしいんですね。
なんでかはよくわからないんですが、たぶん、短詩型そのものが〈無責任の表現形態〉であるようなきもするんですよ。
さいきんたしか荻原裕幸さんが短詩型において〈倫理〉を問うことは可能なのかとツイートされていたようにおもうんですが、短詩型は〈短すぎる〉ために読み手の倫理観もすぐにあからさまになってしまうようなきがするんですよね。
だからたとえば、じゃこさんの「知らんけど」を《どう》取るかは、語り手の問題ではなくて、むしろ読み手のほうにゆだねられているようにおもう。
で、ちょっとみかたを変えて、この句のおもしろさのひとつに、「To be or not to be.」をちゃんと最後まで言い切ってから「知らんけど」と放擲するというところがあるようにおもうんですよね。
語り手は「知らんけど」といってるわりには、ちゃんとハムレットを最後まで引用している。だからほんとうは「知らんけど」といいながら、「そうでもないんだけれども」という語りの意識があるんじゃないかともおもうんですよ。
けれど、やっぱりこれも読み手の読みの意識が、わたしの読みの意識が介入しているわけです。
だから読み手の線引きがどこで行われているかということが短詩型ではいつも問われているような気がするのです。
最後に、シェイクスピア『ハムレット』の“To be, or not to be : that is the question.”のいろんな訳をご紹介して終わりにしましょう。
明治時代のいちばんはじめの訳:
「あります、ありません。あれは何ですか?」
大阪弁の訳:
「やったろか、あかんか。ほなどないしよ?」
つかこうへいの訳:
「ひよるか、ひよらねえか。おら知らねえ」
ウディ・アレン『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』(1972)。この映画のなかでハムレットの上記のセリフのもじりが出てくるんですが、 "TB or not TB, that is congestion " とウディ・アレンふんする道化師がつぶやく。たしか訳は「結核か結核でないか、それは肺炎だ」だったように思うんですが、名ゼリフがパラフレーズしていく様態って、短詩型がパラフレーズしてさまざまな解釈をもっていく様態とちょっと似ているようにおもうんです。以前、下北沢のイベントで田島健一さんが、句は未来の記憶をもっている、とたしかおっしゃっていたんですが、句にはいまだ発見されていない未来の経験がある。だから句や歌がたった一句でも一首でも生き延びていくといことはあるようなきがする。
【川柳は無責任に親しい】
じゃこさんの川柳ネットプリントからの一句です。
前からちょっと気になっていたことなんですが、川柳って無責任が好きらしいんですね。
なんでかはよくわからないんですが、たぶん、短詩型そのものが〈無責任の表現形態〉であるようなきもするんですよ。
さいきんたしか荻原裕幸さんが短詩型において〈倫理〉を問うことは可能なのかとツイートされていたようにおもうんですが、短詩型は〈短すぎる〉ために読み手の倫理観もすぐにあからさまになってしまうようなきがするんですよね。
だからたとえば、じゃこさんの「知らんけど」を《どう》取るかは、語り手の問題ではなくて、むしろ読み手のほうにゆだねられているようにおもう。
で、ちょっとみかたを変えて、この句のおもしろさのひとつに、「To be or not to be.」をちゃんと最後まで言い切ってから「知らんけど」と放擲するというところがあるようにおもうんですよね。
語り手は「知らんけど」といってるわりには、ちゃんとハムレットを最後まで引用している。だからほんとうは「知らんけど」といいながら、「そうでもないんだけれども」という語りの意識があるんじゃないかともおもうんですよ。
けれど、やっぱりこれも読み手の読みの意識が、わたしの読みの意識が介入しているわけです。
だから読み手の線引きがどこで行われているかということが短詩型ではいつも問われているような気がするのです。
最後に、シェイクスピア『ハムレット』の“To be, or not to be : that is the question.”のいろんな訳をご紹介して終わりにしましょう。
明治時代のいちばんはじめの訳:
「あります、ありません。あれは何ですか?」
大阪弁の訳:
「やったろか、あかんか。ほなどないしよ?」
つかこうへいの訳:
「ひよるか、ひよらねえか。おら知らねえ」
ウディ・アレン『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』(1972)。この映画のなかでハムレットの上記のセリフのもじりが出てくるんですが、 "TB or not TB, that is congestion " とウディ・アレンふんする道化師がつぶやく。たしか訳は「結核か結核でないか、それは肺炎だ」だったように思うんですが、名ゼリフがパラフレーズしていく様態って、短詩型がパラフレーズしてさまざまな解釈をもっていく様態とちょっと似ているようにおもうんです。以前、下北沢のイベントで田島健一さんが、句は未来の記憶をもっている、とたしかおっしゃっていたんですが、句にはいまだ発見されていない未来の経験がある。だから句や歌がたった一句でも一首でも生き延びていくといことはあるようなきがする。
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