【ふしぎな川柳 第四十五夜】ひっそりとした青―渡辺和尾―
- 2015/12/12
- 13:28
この町の隅にひっそり青がある 渡辺和尾
【あいまいな詳細】
現代川柳のなかのひとつのテーマに、〈名付けることの拒否〉があるようにおもうんですよ。
学校の現代文指導では、具体的に・しっかりとした名詞で表現することを教わるけれど、川柳はその逆で、〈名付けることを拒否〉する場合が、ある。
たとえば和尾さんの句ではそれが「青」となってあらわれています。
名付けようもない、カテゴライズできない「青」。
ただそうしたあいまいな青だけれども、でも、それはたぶん「この町」にしかないんですよ。語り手の「この」にはそうした〈固有性〉が込められている。
「この町」という固有の町で語りはじめられながらも、「青」という名前のないアバウトなものをそのままに語ろうとする。
そういう、〈くわしい曖昧さ〉が川柳にはあるのかなっておもうんです。
〈あいまいな詳細〉といいかえてもいいけれど。
そうだ、サブタイトルにしよう。
花の名をなんども聞いて坂の道 東川和子
コーエン兄弟『ファーゴ』(1996)。コーエン兄弟はよく〈殺人〉を描くけれど、〈殺人〉ってひとつの〈名付けることの拒否〉のように思うんですよね。そのひとの〈名前〉を剥奪してしまう。ところが、そのひとに関する情報というか詳細は、殺された事実や死んでいた場所、経歴、関係などさまざまな〈詳細〉となって名前を奪われたがゆえにわきだしてくるわけです。『ファーゴ』のおもしろさは、そうした〈詳細〉が〈事件〉以外からどんどん漏れ出してきてしまうところにあるようにおもうんですよ。一言でいえば、にんげんはかなしくておかしい。
【あいまいな詳細】
現代川柳のなかのひとつのテーマに、〈名付けることの拒否〉があるようにおもうんですよ。
学校の現代文指導では、具体的に・しっかりとした名詞で表現することを教わるけれど、川柳はその逆で、〈名付けることを拒否〉する場合が、ある。
たとえば和尾さんの句ではそれが「青」となってあらわれています。
名付けようもない、カテゴライズできない「青」。
ただそうしたあいまいな青だけれども、でも、それはたぶん「この町」にしかないんですよ。語り手の「この」にはそうした〈固有性〉が込められている。
「この町」という固有の町で語りはじめられながらも、「青」という名前のないアバウトなものをそのままに語ろうとする。
そういう、〈くわしい曖昧さ〉が川柳にはあるのかなっておもうんです。
〈あいまいな詳細〉といいかえてもいいけれど。
そうだ、サブタイトルにしよう。
花の名をなんども聞いて坂の道 東川和子
コーエン兄弟『ファーゴ』(1996)。コーエン兄弟はよく〈殺人〉を描くけれど、〈殺人〉ってひとつの〈名付けることの拒否〉のように思うんですよね。そのひとの〈名前〉を剥奪してしまう。ところが、そのひとに関する情報というか詳細は、殺された事実や死んでいた場所、経歴、関係などさまざまな〈詳細〉となって名前を奪われたがゆえにわきだしてくるわけです。『ファーゴ』のおもしろさは、そうした〈詳細〉が〈事件〉以外からどんどん漏れ出してきてしまうところにあるようにおもうんですよ。一言でいえば、にんげんはかなしくておかしい。
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