【お知らせ】「【週俳10月の川柳を読む】恋するわかめ、或いはわかめの不可能性について―川柳はときどき恋をしている―」『週刊俳句 第451号』
- 2015/12/13
- 13:45
『週刊俳句 第451号』にて「【週俳10月の川柳を読む】恋するわかめ、或いはわかめの不可能性について―川柳はときどき恋をしている―」という文章を書かせていただきました。『週刊俳句』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました。
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
以前、『俳句新空間』でも取り上げさせていただいた榊陽子さんの川柳なのですが、今回は『週刊俳句』の榊さんの連作を〈読む〉ということをやってみました。
わたしがこの榊さんの連作を読んで感じたのは、川柳って読み手もいろいろたのしく動くことがきる文芸なのかもしれないな、ということです。
語り手だけじゃなくて、読み手も積極的に動いていい。でももちろん、動きすぎると定型や句それ自体が〈ものいい〉をしてくるかもしれないし、でもできるだけ、はじめて飛ぶ日のようにパイロットのように、やれるだけはやってみて、いい。
そういうのを許してくれる文芸が、川柳なのかなあともおもうんですよ。
わかめがふえるように、読み方もたくさんそのつどふえてもいい。よくわからないふえかたで。
しかも、榊さんが「ふるえるわかめ」とずらしたように、ふえることはふるえることの残像でしかないことも、自覚しておいていい。ほんとうはなにもふえていないかもしれないことも、知っていてもいい。
それでもふるえながら、ただひとつでありながら、ひとつとして、ふえていっても、いい。
読むことは、ロラン・バルトがいったように、生殖に似ていても、いい。
のかな。
私ひとりだけのバス停いいのかな 坂倉広美
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
以前、『俳句新空間』でも取り上げさせていただいた榊陽子さんの川柳なのですが、今回は『週刊俳句』の榊さんの連作を〈読む〉ということをやってみました。
わたしがこの榊さんの連作を読んで感じたのは、川柳って読み手もいろいろたのしく動くことがきる文芸なのかもしれないな、ということです。
語り手だけじゃなくて、読み手も積極的に動いていい。でももちろん、動きすぎると定型や句それ自体が〈ものいい〉をしてくるかもしれないし、でもできるだけ、はじめて飛ぶ日のようにパイロットのように、やれるだけはやってみて、いい。
そういうのを許してくれる文芸が、川柳なのかなあともおもうんですよ。
わかめがふえるように、読み方もたくさんそのつどふえてもいい。よくわからないふえかたで。
しかも、榊さんが「ふるえるわかめ」とずらしたように、ふえることはふるえることの残像でしかないことも、自覚しておいていい。ほんとうはなにもふえていないかもしれないことも、知っていてもいい。
それでもふるえながら、ただひとつでありながら、ひとつとして、ふえていっても、いい。
読むことは、ロラン・バルトがいったように、生殖に似ていても、いい。
のかな。
私ひとりだけのバス停いいのかな 坂倉広美
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