【ふしぎな川柳 第五十四夜】そろそろパイの話をしよう-石橋水絵-
- 2015/12/29
- 10:33
海へ祀るネクタイもパイも 石橋水絵
ほうれん草は美しいです 嘘も 〃
【すべての川柳はスティーヴン・セガール】
この水絵さんの句にみられるのが、「ネクタイ」と「パイ」、「ほうれん草」と「嘘」がふつうに並列されてしまう風景なんじゃないかとおもうんですね。
で、わたし、前から考えていたんですが、川柳のなかではどうも食べ物は食べるものではないらしい、ということがわかってきた。それは前から書いていたことでもあるんですが、もう少しあえて踏み込んだ言い方をしてみると、川柳の語り手の身体観っていうのは、食べ物補給が要らない身体をしているんじゃないかって考えるようになってきたんです。
つまり、川柳の語り手たちは〈しなない〉というか、もし〈しぬ〉ことがあっても、ちがう理由で、〈しぬ〉。
たとえば水絵さんの句にしたがうなら、「パイ」が海へ祀れなくなってしまったときに、「ほうれん草」が美しくなくなったときに語り手は絶望を感じるかもしれない。でもそれらがずっと食べられなくても、どうということはない。むしろ食べ物をみずからのカテゴリーにくくれなくなったときこそ、危機なのです。
だから川柳の語り手ってほとんどスティーヴン・セガールに近いというか、〈無敵〉なんじゃないかとおもうんですよ。ところが、セガールがいくら最強のコックだとしても、〈沈黙シリーズ〉が終わればしぬように、川柳の語り手たちはいくら無敵であろうとも、川柳というジャンルが終わればしぬ。でもセガールが食べ物をつくることを主旨としないコックのように、川柳も食べ物に対してちがった態度を、とる。
ジャンルを食べて、ジャンルの輪郭を食べて、ジャンルを変成しつつ、ずっと、生きているし、生きてきた。
成程バナナ 形からしてバナナ 木村聡雄
デイヴィス『沈黙の戦艦』(1992)。料理人ラインバックことスティーヴン・セガールもそうなんですが、目的的ではなくなった形態やジャンルって強いとおもうんですよ。それは目的的形態から逸れたときにジャンルのタガがはずれてみずから自己増殖しはじめるからだとおもうんですけれど。で、じつはそれが〈しなない〉ということなんじゃないかとおもうんです。
ほうれん草は美しいです 嘘も 〃
【すべての川柳はスティーヴン・セガール】
この水絵さんの句にみられるのが、「ネクタイ」と「パイ」、「ほうれん草」と「嘘」がふつうに並列されてしまう風景なんじゃないかとおもうんですね。
で、わたし、前から考えていたんですが、川柳のなかではどうも食べ物は食べるものではないらしい、ということがわかってきた。それは前から書いていたことでもあるんですが、もう少しあえて踏み込んだ言い方をしてみると、川柳の語り手の身体観っていうのは、食べ物補給が要らない身体をしているんじゃないかって考えるようになってきたんです。
つまり、川柳の語り手たちは〈しなない〉というか、もし〈しぬ〉ことがあっても、ちがう理由で、〈しぬ〉。
たとえば水絵さんの句にしたがうなら、「パイ」が海へ祀れなくなってしまったときに、「ほうれん草」が美しくなくなったときに語り手は絶望を感じるかもしれない。でもそれらがずっと食べられなくても、どうということはない。むしろ食べ物をみずからのカテゴリーにくくれなくなったときこそ、危機なのです。
だから川柳の語り手ってほとんどスティーヴン・セガールに近いというか、〈無敵〉なんじゃないかとおもうんですよ。ところが、セガールがいくら最強のコックだとしても、〈沈黙シリーズ〉が終わればしぬように、川柳の語り手たちはいくら無敵であろうとも、川柳というジャンルが終わればしぬ。でもセガールが食べ物をつくることを主旨としないコックのように、川柳も食べ物に対してちがった態度を、とる。
ジャンルを食べて、ジャンルの輪郭を食べて、ジャンルを変成しつつ、ずっと、生きているし、生きてきた。
成程バナナ 形からしてバナナ 木村聡雄
デイヴィス『沈黙の戦艦』(1992)。料理人ラインバックことスティーヴン・セガールもそうなんですが、目的的ではなくなった形態やジャンルって強いとおもうんですよ。それは目的的形態から逸れたときにジャンルのタガがはずれてみずから自己増殖しはじめるからだとおもうんですけれど。で、じつはそれが〈しなない〉ということなんじゃないかとおもうんです。
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