【感想】やってごらん、いないいないばあを。わたくしはまだかなしくもさびしくもない 柳谷あゆみ
- 2016/01/01
- 14:03
やってごらん、いないいないばあを。わたくしはまだかなしくもさびしくもない 柳谷あゆみ
【ちゃんとしたわたくしのガッツ】
短歌の独特の機能のひとつに〈ちゃんとする〉機能っていうのがあるようにおもうんですよ。
これは、俳句や川柳にはあまりみられない機能だとおもうんですね。
で、〈ちゃんとする〉っていうのはどういうことかっていうと柳谷さんの上の短歌をみてもらうとわかるですが、「わたくしは」って自称をしていますよね。
これが〈ちゃんとする〉です。
「わたしは」でも「あたしは」でも「ぼくは」でも「おれは」でも「うち」でもなくて、「わたくしは」と主語を〈ちゃんとする〉こと。
この〈ちゃんとする〉ことによってどういう感触が’うまれるかというと、それはふだん出会ったことのない〈私〉に出会おうとする〈意志〉が生まれるということです。
「わたくしは」なんてふだん使いませんよね。日常的に使っていたら鼻白まれるというか、「わたくしはじゃあ大盛りつゆだくで」とかいったらなんだよこいつと思われる。でも短歌でそういう俗的な日常とちゃんとしたわたくしをつないだのが、斉藤斎藤さんや柳谷あゆみさんの短歌なのかなあとおもうんです。
そこでは俗的な世間にいながらも、わたくしによって私を更新=行進しようとする意志がみられる。
誰もいなくなってホームでガッツポーズするわたくしのガッツあふれる 斉藤斎藤
ドラマ『孤独のグルメ』(テレビ東京)。この『孤独のグルメ』のおもしろさのひとつがえんえんとした長大なモノローグだと思うんです。グルメって実は会話によって公共空間をつくることではなく、内的独白によって私を更新しつづけることなんだっていう新しさがあります。つまり、誰ともおいしさを共有しないっていうことです。だから「孤独のグルメ」。
【ちゃんとしたわたくしのガッツ】
短歌の独特の機能のひとつに〈ちゃんとする〉機能っていうのがあるようにおもうんですよ。
これは、俳句や川柳にはあまりみられない機能だとおもうんですね。
で、〈ちゃんとする〉っていうのはどういうことかっていうと柳谷さんの上の短歌をみてもらうとわかるですが、「わたくしは」って自称をしていますよね。
これが〈ちゃんとする〉です。
「わたしは」でも「あたしは」でも「ぼくは」でも「おれは」でも「うち」でもなくて、「わたくしは」と主語を〈ちゃんとする〉こと。
この〈ちゃんとする〉ことによってどういう感触が’うまれるかというと、それはふだん出会ったことのない〈私〉に出会おうとする〈意志〉が生まれるということです。
「わたくしは」なんてふだん使いませんよね。日常的に使っていたら鼻白まれるというか、「わたくしはじゃあ大盛りつゆだくで」とかいったらなんだよこいつと思われる。でも短歌でそういう俗的な日常とちゃんとしたわたくしをつないだのが、斉藤斎藤さんや柳谷あゆみさんの短歌なのかなあとおもうんです。
そこでは俗的な世間にいながらも、わたくしによって私を更新=行進しようとする意志がみられる。
誰もいなくなってホームでガッツポーズするわたくしのガッツあふれる 斉藤斎藤
ドラマ『孤独のグルメ』(テレビ東京)。この『孤独のグルメ』のおもしろさのひとつがえんえんとした長大なモノローグだと思うんです。グルメって実は会話によって公共空間をつくることではなく、内的独白によって私を更新しつづけることなんだっていう新しさがあります。つまり、誰ともおいしさを共有しないっていうことです。だから「孤独のグルメ」。
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