【お知らせ】はらだ有彩「1月のヤバい女の子/王子様とヤバい女の子」『アパートメント』レビュー
- 2016/01/01
- 21:00
もしもあなたが自分の意思と覚悟に基づいて世界中を出し抜いたとして、それを誰が悪だと言えるだろう。玉の緒よ去らなば去らね、だけど絶対に捕まえにゆくからね。 はらだ有彩
*
ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第8回目の今月のはりーさんの文章は「王子様とヤバい女の子 」という昔話「猿婿入」と王子様をめぐるエッセイです。
〈王子様〉ってなんだろうって考えたときに、もはや王子様は〈来る〉ものなんじゃなくて〈なる〉ものなんじゃないかってちょっと思ったんですよ。
それは、これまではりーさんが書かれてきた文章やたとえば短歌でいえば北山あさひさんや川柳でいえば竹井紫乙さんの書かれたものをみて思うんだけれども、〈王子様〉を〈待つ〉んではなくて、〈待たない〉で〈わたし〉が〈王子様〉になってしまうこと。あまたの王子様をかきわけ・しりぞいて、このわたしが〈王子〉であるための言葉を組み立てること。
それがいまの〈王子様〉なんじゃないかと思うんですよ。
たとえば、白雪姫がキスをしようとする王子様を殴りたおして、毒リンゴを食べさせようとする魔女も殴りたおして、ともかく自分を〈受け身〉に徹しさせようとする人間を殴り倒し、じぶんが〈する〉能動主体になること。それが〈王子さま〉なんじゃないかと思うんですよ。
だから誰でも〈王子様〉になろうと思えばなれるわけです。なろうと〈する〉ならば。
あとはそのための言葉をじぶんで組み立てる用意をすれば、いい。
『きょうからなれる王子様入門』はたぶんあなたが生まれたときからあなたの手のなかにあなたの言葉のなかにずっと持っていたものでもあったんだと、おもうんですよ。それは紀伊國屋とかジュンク堂にあるのではなくて。
どんな本だって、あなたが始めから持ってる。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
※ ※
「初めは、ぼくからちょっと離れて、こんなふうに草の上に腰をおろすんだ。ぼくは横目できみをちらっと見る。きみは何も言ってはいけないよ。言葉は、誤解のもとなんだ。けれど、毎日少しずつ、だんだん近くに腰をおろすことができるようになる……」 サン=テグジュペリ『星の王子さま』
然るべき時が来るまでは、誰も私の眠りをさまたげることはできない。私はトラブルの衣にくるまれた絶望の王子なのだ。フォルクスワーゲン・ゴルフくらいの大きさのひきがえるがやってきて私に口づけするまで、私はこんこんと眠りつづけるのだ。 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
英知においては悲観主義者、だが、意志においては楽観主義者たれ グラムシ
*
2016年最初のはりーさんのテーマは〈王子様〉でした。
王子さま。
北山あさひさんにこんな短歌があるんです。
王子なら私がなるね髪型がたやすく変になる今は風 北山あさひ
この歌で端的にあらわれているのは、「王子」とは〈デアル〉ものではなく、〈ナル〉ものだということです。「髪型がたやすく変になる」状態であっても「王子」とは〈ナル〉ものなのです。髪型がへんだって、白馬を乗りこなせなくたって、なんだって、いい。王子を待つのではなく、このわたしが〈なる〉のだ、と。
はりーさんの今回の文章を読んで思ったのもおなじことでした。
《私は自分の人生と自分のコロニーを守りたい。私の人生は私がコントロールするのだから。もしもあなたが自分の意思と覚悟に基づいて世界中を出し抜いたとして、それを誰が悪だと言えるだろう。玉の緒よ去らなば去らね、だけど絶対に捕まえにゆくからね。》
「捕まえにゆくから」──。
「王子」とはもはや〈来る=クル〉ものではない。小鳥やりすに囲まれた姫のもとに白馬に乗ってさわやかな笑顔をふりまきながらあらわれるものなのではない。小鳥やりすをかきわけたわたしが、白馬に乗った王子をしりぞけさえしたわたしが、〈ナル〉ものなのである、と。
王子とは、〈わたしがなるね〉と宣言したもののことをいうのです。
はりーさんのレビューを去年ずっと担当させていただいて思ったのが、はりーさんがこれまで紹介してきた〈ヤバい女の子〉たちは、みんな、この〈わたしがなるね〉という宣言をしたものたちだったのではないかということです。
〈わたしがなるね〉と宣言することは、社会のコードにふれてしまうこともあるかもしれません。枠組みをぬけようとしたために、〈こいつやばいね〉とラベルをはられてしまうかもしれない。「王子」になりたいなんて、おまえ、〈ヤバい女の子〉だね、と。
でも、その〈ヤバさ〉のなかに〈これまで〉の枠組みをぬけようとする力強さがあるのです。
〈ヤバさ〉こそが、社会から規定されそうになるわたしを抜け出すためのジャンピングボードになるのです。
白馬に乗ってきた王子を思わず殴り倒してしまった髪型がへんなわたし。
王子をうしろに乗せてさっそうと白馬を乗りこなす髪型がへんなわたし。
白馬一頭からの牧場経営で一財産築き、王子を養いながら働くことに生きがいをみつける髪型がへんなわたし。
王子に引導を渡し、むしろ王制を転覆するため革命の指導者になった髪型がへんなわたし。
そのどれもが、いま、この、わたしなのです。
ヤバさを引き受けることは、強風のあおりをうけ、髪型がたやすく変になることでもある。
でも、「王子ならわたしがなるね」とあなたが言うよりも前に口にしてしまうこと。〈おまえじゃないよ〉とつねに王子の生成を阻止してしまうこと。
そこに〈わたし〉が〈わたし〉として〈たくましく〉生きる秘訣があるようなきがするのです。
ニーチェが、すべての人類はわたしである、と述べたように、すべての王子はわたしである、と言い切ってしまうこと。
余談ですがわたしにはむかしからずっと夢があって、〈いつか誰かに自転車のうしろに乗せてもらう〉という夢がありました。
ただ自転車の後ろに乗せてもらう機会ってなかなかありません。助手席に座らせてもらうことはありますが、自転車の後ろはなかなかない。
気がつけば、どんどんとしをとってしまっているので、これはまずいな、かなわないかもしれないな、と思っています。でも「自転車の後ろにはわたしがのるね」と機会がきたら、すかさずそういうつもりです。まあ、こいつはヤバいな、と思われるかもしれませんが、〈ヤバい女の子〉たちをみならって、わたしも、〈ヤバいレビュアー〉になりたいと去年は努力してきたつもりです。あいつは2015年もなんだかヤバいことばかりをいっていたが、2016年に入ってもまともなことを言っているとは思えない。おまけに髪型がどうもへんだ。髪型のようすが、おかしい。
自転車のうしろにようやく乗せてもらえたわたしの髪型が風のあおりをうけて、どんどん、へんになっていきます。
これか、とわたしは思います。これだったか、と。
わたしは、いま、〈王子〉に近づいているのかもしれないと、おもう(髪型がへんになりながら)。
そして、この風。
この風だったか、とわたしは、おもう。
わたしがわたしのわたしを宣言したにんげんには、すべてが「今は風」のなかにあるんだと。
だから、ひとは《王子になるためには髪型がへんにならなければならないのだ》と。
そうなのです。
髪型が完全にへんになったわたしには、いままさにこのしゅんかんのわたし〈こそ〉が〈王子〉そのものであるということが、ようやくわかったのです。
王子なら私がなるね髪型がたやすく変になる今は風 北山あさひ
行きましょう、2016年。
*
ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第8回目の今月のはりーさんの文章は「王子様とヤバい女の子 」という昔話「猿婿入」と王子様をめぐるエッセイです。
〈王子様〉ってなんだろうって考えたときに、もはや王子様は〈来る〉ものなんじゃなくて〈なる〉ものなんじゃないかってちょっと思ったんですよ。
それは、これまではりーさんが書かれてきた文章やたとえば短歌でいえば北山あさひさんや川柳でいえば竹井紫乙さんの書かれたものをみて思うんだけれども、〈王子様〉を〈待つ〉んではなくて、〈待たない〉で〈わたし〉が〈王子様〉になってしまうこと。あまたの王子様をかきわけ・しりぞいて、このわたしが〈王子〉であるための言葉を組み立てること。
それがいまの〈王子様〉なんじゃないかと思うんですよ。
たとえば、白雪姫がキスをしようとする王子様を殴りたおして、毒リンゴを食べさせようとする魔女も殴りたおして、ともかく自分を〈受け身〉に徹しさせようとする人間を殴り倒し、じぶんが〈する〉能動主体になること。それが〈王子さま〉なんじゃないかと思うんですよ。
だから誰でも〈王子様〉になろうと思えばなれるわけです。なろうと〈する〉ならば。
あとはそのための言葉をじぶんで組み立てる用意をすれば、いい。
『きょうからなれる王子様入門』はたぶんあなたが生まれたときからあなたの手のなかにあなたの言葉のなかにずっと持っていたものでもあったんだと、おもうんですよ。それは紀伊國屋とかジュンク堂にあるのではなくて。
どんな本だって、あなたが始めから持ってる。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
※ ※
「初めは、ぼくからちょっと離れて、こんなふうに草の上に腰をおろすんだ。ぼくは横目できみをちらっと見る。きみは何も言ってはいけないよ。言葉は、誤解のもとなんだ。けれど、毎日少しずつ、だんだん近くに腰をおろすことができるようになる……」 サン=テグジュペリ『星の王子さま』
然るべき時が来るまでは、誰も私の眠りをさまたげることはできない。私はトラブルの衣にくるまれた絶望の王子なのだ。フォルクスワーゲン・ゴルフくらいの大きさのひきがえるがやってきて私に口づけするまで、私はこんこんと眠りつづけるのだ。 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
英知においては悲観主義者、だが、意志においては楽観主義者たれ グラムシ
*
2016年最初のはりーさんのテーマは〈王子様〉でした。
王子さま。
北山あさひさんにこんな短歌があるんです。
王子なら私がなるね髪型がたやすく変になる今は風 北山あさひ
この歌で端的にあらわれているのは、「王子」とは〈デアル〉ものではなく、〈ナル〉ものだということです。「髪型がたやすく変になる」状態であっても「王子」とは〈ナル〉ものなのです。髪型がへんだって、白馬を乗りこなせなくたって、なんだって、いい。王子を待つのではなく、このわたしが〈なる〉のだ、と。
はりーさんの今回の文章を読んで思ったのもおなじことでした。
《私は自分の人生と自分のコロニーを守りたい。私の人生は私がコントロールするのだから。もしもあなたが自分の意思と覚悟に基づいて世界中を出し抜いたとして、それを誰が悪だと言えるだろう。玉の緒よ去らなば去らね、だけど絶対に捕まえにゆくからね。》
「捕まえにゆくから」──。
「王子」とはもはや〈来る=クル〉ものではない。小鳥やりすに囲まれた姫のもとに白馬に乗ってさわやかな笑顔をふりまきながらあらわれるものなのではない。小鳥やりすをかきわけたわたしが、白馬に乗った王子をしりぞけさえしたわたしが、〈ナル〉ものなのである、と。
王子とは、〈わたしがなるね〉と宣言したもののことをいうのです。
はりーさんのレビューを去年ずっと担当させていただいて思ったのが、はりーさんがこれまで紹介してきた〈ヤバい女の子〉たちは、みんな、この〈わたしがなるね〉という宣言をしたものたちだったのではないかということです。
〈わたしがなるね〉と宣言することは、社会のコードにふれてしまうこともあるかもしれません。枠組みをぬけようとしたために、〈こいつやばいね〉とラベルをはられてしまうかもしれない。「王子」になりたいなんて、おまえ、〈ヤバい女の子〉だね、と。
でも、その〈ヤバさ〉のなかに〈これまで〉の枠組みをぬけようとする力強さがあるのです。
〈ヤバさ〉こそが、社会から規定されそうになるわたしを抜け出すためのジャンピングボードになるのです。
白馬に乗ってきた王子を思わず殴り倒してしまった髪型がへんなわたし。
王子をうしろに乗せてさっそうと白馬を乗りこなす髪型がへんなわたし。
白馬一頭からの牧場経営で一財産築き、王子を養いながら働くことに生きがいをみつける髪型がへんなわたし。
王子に引導を渡し、むしろ王制を転覆するため革命の指導者になった髪型がへんなわたし。
そのどれもが、いま、この、わたしなのです。
ヤバさを引き受けることは、強風のあおりをうけ、髪型がたやすく変になることでもある。
でも、「王子ならわたしがなるね」とあなたが言うよりも前に口にしてしまうこと。〈おまえじゃないよ〉とつねに王子の生成を阻止してしまうこと。
そこに〈わたし〉が〈わたし〉として〈たくましく〉生きる秘訣があるようなきがするのです。
ニーチェが、すべての人類はわたしである、と述べたように、すべての王子はわたしである、と言い切ってしまうこと。
余談ですがわたしにはむかしからずっと夢があって、〈いつか誰かに自転車のうしろに乗せてもらう〉という夢がありました。
ただ自転車の後ろに乗せてもらう機会ってなかなかありません。助手席に座らせてもらうことはありますが、自転車の後ろはなかなかない。
気がつけば、どんどんとしをとってしまっているので、これはまずいな、かなわないかもしれないな、と思っています。でも「自転車の後ろにはわたしがのるね」と機会がきたら、すかさずそういうつもりです。まあ、こいつはヤバいな、と思われるかもしれませんが、〈ヤバい女の子〉たちをみならって、わたしも、〈ヤバいレビュアー〉になりたいと去年は努力してきたつもりです。あいつは2015年もなんだかヤバいことばかりをいっていたが、2016年に入ってもまともなことを言っているとは思えない。おまけに髪型がどうもへんだ。髪型のようすが、おかしい。
自転車のうしろにようやく乗せてもらえたわたしの髪型が風のあおりをうけて、どんどん、へんになっていきます。
これか、とわたしは思います。これだったか、と。
わたしは、いま、〈王子〉に近づいているのかもしれないと、おもう(髪型がへんになりながら)。
そして、この風。
この風だったか、とわたしは、おもう。
わたしがわたしのわたしを宣言したにんげんには、すべてが「今は風」のなかにあるんだと。
だから、ひとは《王子になるためには髪型がへんにならなければならないのだ》と。
そうなのです。
髪型が完全にへんになったわたしには、いままさにこのしゅんかんのわたし〈こそ〉が〈王子〉そのものであるということが、ようやくわかったのです。
王子なら私がなるね髪型がたやすく変になる今は風 北山あさひ
行きましょう、2016年。
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