【ふしぎな川柳 第五十八夜】焦る-なかはられいこ-
- 2016/01/06
- 12:00
ともだちがつぎつぎ緑になる焦る なかはられいこ
言葉の選び方や組み合わせ方、発想や立ち上がるイメージ、それらは普段忘れていたり気がつかなかったりしている自分の中にある詩情を喚起させる。 ながたまみ「なかはられいころん」
いつか出会うはずのひとたちに、「はじめまして」を言い続けたい。川柳という形式の端っこを、ひっぱったり伸ばしたりして、確かめながら。 なかはられいこ「れいこさんにもなんか書いてもらいます」
みなさんこんにちはみなさん。ぼくはいつでもそんなはずはないと思っていつでもそんなはずはぼくはないと思っていました。そんなはずはないといつでも思ってぼくはいつもいました。けれどもぼくにとってそのことはたいして重要なことではもちろんありません。もちろんそのことはぼくにとって重要なことではもちろんたいしてぼくにとってはありませんけれども。けれども重要なことではたいしてもちろんぼくにとっては重要なそのことはもちろんことではありません。 谷山浩子『悲しみの時計少女』
【あせろう】
『川柳ねじまき』2号からの一句です。
この句をみたときすごく定型の使い方がおもしろいなあと思ったんですが、それはたぶん結語の「焦る」の配置だとおもうんですね。配分、といったらいいのでしょうか。
この定型の構造じたいが〈焦っている構造〉になるとおもうんですよ。
配分をみてみましょう。
ともだちがつぎつぎ緑になる/焦る
定型内の8割は状況説明で最後の3音で「焦る」と語り手のそれに対する〈内面〉が明かされています。
これをこんなふうに説明することもできることかもしれない。
語り手はこの〈焦る状況〉のさなか、さいごの3音にいたってようやく自分の考えていることが〈わかった〉のだと。だから、〈焦っている〉ことが読者にもわかるのだと。
この「焦る」ってさいごに〈パッ〉とでてきた感じが強いと思うんですよ。それは配分比率の問題だとおもうんだけれど、でも、だからこそ、〈焦っている〉のが読み手にもわかる。焦っていなかったら、定型内の配分比率ももっとおおらかに落ち着いていると思うんですよ。
だからこの句は、定型じたいが焦っている。
そういう句なんじゃないかとおもうんです。
そう考えると定型って〈構造的心情〉ともいえるのかなあって思うんですね。それが心情のサーチライトのような役割を果たしている。その灯りに読み手はおそるおそる灯りをとおして近づいてゆく。ちかづくと、きえる。
照明があたると消えてしまう橋 なかはられいこ
ラジオドラマ「悲しみの時計少女」。谷山浩子さんの原作がラジオドラマ化されたもので、主人公の声も谷山さんご自身が演じています。谷山さんの幻想世界の根っこのひとつに、〈主語の倒錯〉があるんじゃないかと思うんですね。これは谷山さんの有名な「まっくら森のうた」なんかもそうなんだけれど、マクベスの「きれいはきたない、きたないはきれい」の世界です。つまり、主語の述語統合ができないというか、主語や述語が倒錯しているために、ベクトルがあちこちにいりみだれている。それなのに「鳥は鳥に」という自同律の歌もへいぜんと歌ってしまう。幻想やぶきみさってそういう主語の配分にあるんじゃないかと思うんですよ。主語がめちゃくちゃになるとひとは〈焦り〉ますよね。あせる
言葉の選び方や組み合わせ方、発想や立ち上がるイメージ、それらは普段忘れていたり気がつかなかったりしている自分の中にある詩情を喚起させる。 ながたまみ「なかはられいころん」
いつか出会うはずのひとたちに、「はじめまして」を言い続けたい。川柳という形式の端っこを、ひっぱったり伸ばしたりして、確かめながら。 なかはられいこ「れいこさんにもなんか書いてもらいます」
みなさんこんにちはみなさん。ぼくはいつでもそんなはずはないと思っていつでもそんなはずはぼくはないと思っていました。そんなはずはないといつでも思ってぼくはいつもいました。けれどもぼくにとってそのことはたいして重要なことではもちろんありません。もちろんそのことはぼくにとって重要なことではもちろんたいしてぼくにとってはありませんけれども。けれども重要なことではたいしてもちろんぼくにとっては重要なそのことはもちろんことではありません。 谷山浩子『悲しみの時計少女』
【あせろう】
『川柳ねじまき』2号からの一句です。
この句をみたときすごく定型の使い方がおもしろいなあと思ったんですが、それはたぶん結語の「焦る」の配置だとおもうんですね。配分、といったらいいのでしょうか。
この定型の構造じたいが〈焦っている構造〉になるとおもうんですよ。
配分をみてみましょう。
ともだちがつぎつぎ緑になる/焦る
定型内の8割は状況説明で最後の3音で「焦る」と語り手のそれに対する〈内面〉が明かされています。
これをこんなふうに説明することもできることかもしれない。
語り手はこの〈焦る状況〉のさなか、さいごの3音にいたってようやく自分の考えていることが〈わかった〉のだと。だから、〈焦っている〉ことが読者にもわかるのだと。
この「焦る」ってさいごに〈パッ〉とでてきた感じが強いと思うんですよ。それは配分比率の問題だとおもうんだけれど、でも、だからこそ、〈焦っている〉のが読み手にもわかる。焦っていなかったら、定型内の配分比率ももっとおおらかに落ち着いていると思うんですよ。
だからこの句は、定型じたいが焦っている。
そういう句なんじゃないかとおもうんです。
そう考えると定型って〈構造的心情〉ともいえるのかなあって思うんですね。それが心情のサーチライトのような役割を果たしている。その灯りに読み手はおそるおそる灯りをとおして近づいてゆく。ちかづくと、きえる。
照明があたると消えてしまう橋 なかはられいこ
ラジオドラマ「悲しみの時計少女」。谷山浩子さんの原作がラジオドラマ化されたもので、主人公の声も谷山さんご自身が演じています。谷山さんの幻想世界の根っこのひとつに、〈主語の倒錯〉があるんじゃないかと思うんですね。これは谷山さんの有名な「まっくら森のうた」なんかもそうなんだけれど、マクベスの「きれいはきたない、きたないはきれい」の世界です。つまり、主語の述語統合ができないというか、主語や述語が倒錯しているために、ベクトルがあちこちにいりみだれている。それなのに「鳥は鳥に」という自同律の歌もへいぜんと歌ってしまう。幻想やぶきみさってそういう主語の配分にあるんじゃないかと思うんですよ。主語がめちゃくちゃになるとひとは〈焦り〉ますよね。あせる
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