【ふしぎな川柳 第六十夜】だけなのに-三好光明-
- 2016/01/07
- 00:49
音止まる秒針だけが追ってくる 三好光明
【Such a lovely place】
この柳誌『川柳ねじまき』の特徴のひとつに、みんなのタイトルの付け方がおもしろい、っていうのがあると思うんですね。
全員がかなり意識してタイトルをつけているように感じられたんです。それは川柳連作だけでなく、解説や小文なんかもそうです(そもそも『川柳ねじまき』がおもしろいタイトルですよね)。
たとえばこの三好さんの連作「だけなのに」とか、前の記事で紹介した二村鉄子さんの「いいのに」とか、ながたまみさんの句評のタイトル「なかはられいころん」とか、それぞれなにか〈特質〉を引っこ抜いて、すでにタイトルに背負わせている。タイトルからもじゅうぶんいろんな〈読み〉が展開できる。タイトルだけなんだけれども、「だけなのに」その〈だけ〉が豊饒な世界。それが、ねじまきの世界でもあるのかなあと思うんです。
三好さんの句では「秒針だけが追ってくる」んだけれども、その「だけ」がタフなんですね。
この句っていうのは、短針・長身・秒針の有機的な世界である〈時計〉が壊れたしゅんかんに、それでも有機的になろうとする秒針のぶきみさを描いたものだとおもうんですが、川柳って有機的な体系が壊れても、部分的にまた活性化して競りだしてくるこわさがあるようにおもうんです。
だからこそ、川柳のなかでは身体(観)がばらばらでもいい。「だけなのに」の世界はそういう世界でもありますよね。「だけでいいのに」が「だけもいいのに」になり、やがては「だけがいいのに」になっていく世界。「だけ」があらゆるものを凌駕していく世界。
その意味では、〈ねじまき〉っていうのも実は〈川柳的〉なんですよ。〈ねじ〉という部分を有機的に活性化することで、もういちど全体を活性化しようとするのが〈ねじまき〉です。だから、ねじを巻く行為っていうのは、川柳にちかいんじゃないかなと、おもう。ぎいいいいいいいいって。
モザイクを一日おきにかけている 三好光明
ティム・バートン『バットマン・リターンズ』(1992)。この映画に出てくる怪人ペンギンについてよく考えるんですよ。ティム・バートンの造型がよくあらわれていると思うんですが、ティム・バートンの旨味って、ぼろぼろをいかにフォーマルにするかにあるような気がするんですね。ぼろぼろの礼装とかですね(だから、〈縫い目〉が特権化される。ナイトメアビフォアクリスマスのジャックやサリーは縫い目が口ですね)。で、それってなにかっていうと、つまり、死を生に着せかえする作業です。だからティム・バートン映画のなかでは、死がいきいきしていると思うんですよ。ぼろぼろがいきいきとする。死からねじをまき直すことで、それまでみえなかった生のカラーを演出するのがバートンなのかなあっておもうんです。モノクロの世界は実はカラフルなんだっていう。
【Such a lovely place】
この柳誌『川柳ねじまき』の特徴のひとつに、みんなのタイトルの付け方がおもしろい、っていうのがあると思うんですね。
全員がかなり意識してタイトルをつけているように感じられたんです。それは川柳連作だけでなく、解説や小文なんかもそうです(そもそも『川柳ねじまき』がおもしろいタイトルですよね)。
たとえばこの三好さんの連作「だけなのに」とか、前の記事で紹介した二村鉄子さんの「いいのに」とか、ながたまみさんの句評のタイトル「なかはられいころん」とか、それぞれなにか〈特質〉を引っこ抜いて、すでにタイトルに背負わせている。タイトルからもじゅうぶんいろんな〈読み〉が展開できる。タイトルだけなんだけれども、「だけなのに」その〈だけ〉が豊饒な世界。それが、ねじまきの世界でもあるのかなあと思うんです。
三好さんの句では「秒針だけが追ってくる」んだけれども、その「だけ」がタフなんですね。
この句っていうのは、短針・長身・秒針の有機的な世界である〈時計〉が壊れたしゅんかんに、それでも有機的になろうとする秒針のぶきみさを描いたものだとおもうんですが、川柳って有機的な体系が壊れても、部分的にまた活性化して競りだしてくるこわさがあるようにおもうんです。
だからこそ、川柳のなかでは身体(観)がばらばらでもいい。「だけなのに」の世界はそういう世界でもありますよね。「だけでいいのに」が「だけもいいのに」になり、やがては「だけがいいのに」になっていく世界。「だけ」があらゆるものを凌駕していく世界。
その意味では、〈ねじまき〉っていうのも実は〈川柳的〉なんですよ。〈ねじ〉という部分を有機的に活性化することで、もういちど全体を活性化しようとするのが〈ねじまき〉です。だから、ねじを巻く行為っていうのは、川柳にちかいんじゃないかなと、おもう。ぎいいいいいいいいって。
モザイクを一日おきにかけている 三好光明
ティム・バートン『バットマン・リターンズ』(1992)。この映画に出てくる怪人ペンギンについてよく考えるんですよ。ティム・バートンの造型がよくあらわれていると思うんですが、ティム・バートンの旨味って、ぼろぼろをいかにフォーマルにするかにあるような気がするんですね。ぼろぼろの礼装とかですね(だから、〈縫い目〉が特権化される。ナイトメアビフォアクリスマスのジャックやサリーは縫い目が口ですね)。で、それってなにかっていうと、つまり、死を生に着せかえする作業です。だからティム・バートン映画のなかでは、死がいきいきしていると思うんですよ。ぼろぼろがいきいきとする。死からねじをまき直すことで、それまでみえなかった生のカラーを演出するのがバートンなのかなあっておもうんです。モノクロの世界は実はカラフルなんだっていう。
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