【ふしぎな川柳 第六十三夜】むくむくとした時間-青砥和子-
- 2016/01/09
- 00:00
ピリオドを打つとむくむく出てくる無 青砥和子
エプロンをぱさりと置いて春を追う 〃
岩肌からぽろぽろ落ちてゆく谺 〃
【いっしょにいたい、を訳しなさい】
青砥さんの川柳連作「むくむく無」でちょっと考えてみたいのが、川柳における擬音です。
上の句でいうなら、「むくむく」や「ぱさりと」「ぽろぽろ」です。
で、川柳における擬音っていうのはなにかっていうと、語り手がそのモノやコトに向き合っている〈時間〉そのものだと思うんですよ。
これは竹井紫乙さんの「あとがき」を書いていたときにも考えていたことなんですが、定型ってどうしたって音数が限られていますよね。そんななかで「むくむく」なんて4音も使ってしまうなんてどう考えたって〈経済的(エコノミカル)〉ではないんですよ。
17音だから言葉の省エネをしないといけない。でも、擬音はその省エネ志向に立ちはだかってくるんです。
じゃあそれでもなぜひとは擬音を使うのかという問題がある。
そのときやっぱり出てくるのは、そのものやことと向き合う時間なのではないかということです。
「むくむく」と擬音で「無」が語られることによって、「無」に時間が与えられるんです。これは定型という有限のなかだからこそ、かけがえのない時間になる。使える時間は限られている。それでも語り手は擬音を使うことを選んだ。そこにこの句の〈むくむくした時間〉があるとおもうんですよ。
「ぱさりと」も「ぽろぽろ」もそうだとおもうんですよ。
擬音によってひとは揺れながら、いっしょにいるものやこととの時間をむくむくうみだしてゆく。
いっしょにいたい、ということは名詞ではないんですよ。擬音なんです。副詞なんですよ。
正直な穴だ私を放り出す 青砥和子
藤子不二雄『ドラえもん』。ドラえもん、ってなんなのかなあって考えたときにそれはのび太の〈ゆれ〉なんじゃないかなあって思うんですね。スモールライトとかタケコプターとかもちろんのび太は便利な名詞を手にいれるんだけど、でも最後にはいつもその名詞があだとなってしくじってしまう。だからのび太は名詞をいつまでも手に入れられない。ずっとのび太にとっては副詞の時間というか擬音の時間なんです。ゆらゆらと生きた、っていう。だから名詞を手に入れられないひとりの少年の物語でもあるんじゃないかと思うんですよ。ドラえもん、って。
エプロンをぱさりと置いて春を追う 〃
岩肌からぽろぽろ落ちてゆく谺 〃
【いっしょにいたい、を訳しなさい】
青砥さんの川柳連作「むくむく無」でちょっと考えてみたいのが、川柳における擬音です。
上の句でいうなら、「むくむく」や「ぱさりと」「ぽろぽろ」です。
で、川柳における擬音っていうのはなにかっていうと、語り手がそのモノやコトに向き合っている〈時間〉そのものだと思うんですよ。
これは竹井紫乙さんの「あとがき」を書いていたときにも考えていたことなんですが、定型ってどうしたって音数が限られていますよね。そんななかで「むくむく」なんて4音も使ってしまうなんてどう考えたって〈経済的(エコノミカル)〉ではないんですよ。
17音だから言葉の省エネをしないといけない。でも、擬音はその省エネ志向に立ちはだかってくるんです。
じゃあそれでもなぜひとは擬音を使うのかという問題がある。
そのときやっぱり出てくるのは、そのものやことと向き合う時間なのではないかということです。
「むくむく」と擬音で「無」が語られることによって、「無」に時間が与えられるんです。これは定型という有限のなかだからこそ、かけがえのない時間になる。使える時間は限られている。それでも語り手は擬音を使うことを選んだ。そこにこの句の〈むくむくした時間〉があるとおもうんですよ。
「ぱさりと」も「ぽろぽろ」もそうだとおもうんですよ。
擬音によってひとは揺れながら、いっしょにいるものやこととの時間をむくむくうみだしてゆく。
いっしょにいたい、ということは名詞ではないんですよ。擬音なんです。副詞なんですよ。
正直な穴だ私を放り出す 青砥和子
藤子不二雄『ドラえもん』。ドラえもん、ってなんなのかなあって考えたときにそれはのび太の〈ゆれ〉なんじゃないかなあって思うんですね。スモールライトとかタケコプターとかもちろんのび太は便利な名詞を手にいれるんだけど、でも最後にはいつもその名詞があだとなってしくじってしまう。だからのび太は名詞をいつまでも手に入れられない。ずっとのび太にとっては副詞の時間というか擬音の時間なんです。ゆらゆらと生きた、っていう。だから名詞を手に入れられないひとりの少年の物語でもあるんじゃないかと思うんですよ。ドラえもん、って。
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