【感想】その町にいればどこからでも見れるでかい時計の狂ってる町 伊舎堂仁
- 2016/01/11
- 06:00
その町にいればどこからでも見れるでかい時計の狂ってる町 伊舎堂仁
家中の時計がぜんぶ少しずつずれている。針の音が刻む波 常楽みちる
【キキとキヅキは死ぬまでその町で暮らした】
こないだ季語の「去年今年」をめぐる記事でも書いたこととも関連しているんですが、さいきん新聞歌壇でも〈時空〉がゆがんでいる短歌がみられるんじゃないかって思うんですよ。
たとえば日経歌壇の短歌で、これは長野県の短歌の大会でも穂村弘さんが紹介されていた伊舎堂さんの短歌なんですが、わたしこの短歌が掲載されたその日に、大阪に朝の新幹線で行ったので、よく覚えているんですね(で、そのとき会場で伊舎堂さんにお会いして、この歌、載っていましたね、と言ったら伊舎堂さんがTシャツをくださったんですよ)。
で、この歌、そうでなくても印象的だったんですが、この歌のこわいポイントって、〈全体を決めるもの〉が「狂ってる」ってところにあるとおもうんですよ(でもその〈全体を決めるもの〉の狂いっていうのは伊舎堂さんの短歌にみられるテーマでもあるのかなあと今書いていて思いました)。
「どこからでも見れる」っていうのは、この「町」がひとつの〈全体主義〉に染まっていることをあらわしています。ちなみに〈時間〉っていうのは、〈国〉をつくるのに非常に大事な全体システムなんですね。〈時間〉をみんなが守ることで、軍隊の規律がうまれて、戦争ができるわけですから。
だから、時間と全体主義、共同体っていうのは深いつながりがあるんだけれど、その全体主義をつかさどるものが狂っている。そうすると、どうなるかというと、時間が共同体をつくるわけですから、狂った時間は狂った共同体をつくるわけです(ちょっと季語の「去年今年」のぐにゃぐにゃした時間と似ているようにもおもいます)。
つまり、〈時間〉という誰もが信じられる最大級の審級がこわれているってことなのかなあって思うんですよ。
みちるさんの歌は〈べつのありかた〉として狂った共同体を描いています。でもよくよく考えてみると、家の時計ってたぶんみんなずれているんですよね。だからこれってある意味で〈狂い〉の気付きというか、実はむかしからずっとあった〈狂い〉や〈ズレ〉への気付きなんじゃないかとおもうんです。つまり、わたしたちはそういう〈危機(きき)の時代〉というよりはむしろ〈気付き(きづき)の時代〉を生きている。
伊舎堂さんの歌も〈気付き〉なんですよね。
ききの時代、ではなく、きづきの時代。危機をめいめいが気付きとして言葉にすること。
そういう時代なんじゃないかとおもったんです。
ホチキスの最初の針のかなしさにわらうそれでも誰かは最初 梨都
押井守『スカイ・クロラ』(2008)。押井作品っておしなべて〈はじめから負け戦〉が多いようにおもうんですよ。それはうる星やつらもパトレイバーも攻殻機動隊も押井化されると全部そうなってしまう。で、なんでそうなっちゃうかっていうと、あらかじめその世界を規定する審級みたいなものが壊れているというか、その審級のいかんともしがたさみたいなものを、登場人物たちが〈気づいちゃう〉からなんじゃないかと思うんです。これ、勝っても負けても意味ないぞ、と。この世界は勝ち負けの問題じゃないと。この『スカイ・クロラ』でも〈平和を感じるための戦争〉という意味のない戦争が繰り返されるんですが、でもその狂ったシステムに主人公が気づいてしまうことにこの映画の意味もあります。キキとキヅキはいつも遠く離れていながら、手をにぎりあっているのです。
家中の時計がぜんぶ少しずつずれている。針の音が刻む波 常楽みちる
【キキとキヅキは死ぬまでその町で暮らした】
こないだ季語の「去年今年」をめぐる記事でも書いたこととも関連しているんですが、さいきん新聞歌壇でも〈時空〉がゆがんでいる短歌がみられるんじゃないかって思うんですよ。
たとえば日経歌壇の短歌で、これは長野県の短歌の大会でも穂村弘さんが紹介されていた伊舎堂さんの短歌なんですが、わたしこの短歌が掲載されたその日に、大阪に朝の新幹線で行ったので、よく覚えているんですね(で、そのとき会場で伊舎堂さんにお会いして、この歌、載っていましたね、と言ったら伊舎堂さんがTシャツをくださったんですよ)。
で、この歌、そうでなくても印象的だったんですが、この歌のこわいポイントって、〈全体を決めるもの〉が「狂ってる」ってところにあるとおもうんですよ(でもその〈全体を決めるもの〉の狂いっていうのは伊舎堂さんの短歌にみられるテーマでもあるのかなあと今書いていて思いました)。
「どこからでも見れる」っていうのは、この「町」がひとつの〈全体主義〉に染まっていることをあらわしています。ちなみに〈時間〉っていうのは、〈国〉をつくるのに非常に大事な全体システムなんですね。〈時間〉をみんなが守ることで、軍隊の規律がうまれて、戦争ができるわけですから。
だから、時間と全体主義、共同体っていうのは深いつながりがあるんだけれど、その全体主義をつかさどるものが狂っている。そうすると、どうなるかというと、時間が共同体をつくるわけですから、狂った時間は狂った共同体をつくるわけです(ちょっと季語の「去年今年」のぐにゃぐにゃした時間と似ているようにもおもいます)。
つまり、〈時間〉という誰もが信じられる最大級の審級がこわれているってことなのかなあって思うんですよ。
みちるさんの歌は〈べつのありかた〉として狂った共同体を描いています。でもよくよく考えてみると、家の時計ってたぶんみんなずれているんですよね。だからこれってある意味で〈狂い〉の気付きというか、実はむかしからずっとあった〈狂い〉や〈ズレ〉への気付きなんじゃないかとおもうんです。つまり、わたしたちはそういう〈危機(きき)の時代〉というよりはむしろ〈気付き(きづき)の時代〉を生きている。
伊舎堂さんの歌も〈気付き〉なんですよね。
ききの時代、ではなく、きづきの時代。危機をめいめいが気付きとして言葉にすること。
そういう時代なんじゃないかとおもったんです。
ホチキスの最初の針のかなしさにわらうそれでも誰かは最初 梨都
押井守『スカイ・クロラ』(2008)。押井作品っておしなべて〈はじめから負け戦〉が多いようにおもうんですよ。それはうる星やつらもパトレイバーも攻殻機動隊も押井化されると全部そうなってしまう。で、なんでそうなっちゃうかっていうと、あらかじめその世界を規定する審級みたいなものが壊れているというか、その審級のいかんともしがたさみたいなものを、登場人物たちが〈気づいちゃう〉からなんじゃないかと思うんです。これ、勝っても負けても意味ないぞ、と。この世界は勝ち負けの問題じゃないと。この『スカイ・クロラ』でも〈平和を感じるための戦争〉という意味のない戦争が繰り返されるんですが、でもその狂ったシステムに主人公が気づいてしまうことにこの映画の意味もあります。キキとキヅキはいつも遠く離れていながら、手をにぎりあっているのです。
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