【感想】会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい 永井祐
- 2016/01/13
- 23:36
会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい 永井祐
A×B→C、の形を近代の文芸用語では「二物衝撃」という。昔の言葉では取り合わせ・配合。発句で切れ字や切れを使うと取り合わせ、二物衝撃的になるのだ。 普川素床『文芸オクトパス』
【授業中の落書きはすべて短歌になる】
さいきん短歌について考えていたときに、短歌って〈意識の逸脱〉とけっこう関係があるんじゃないかなって思ったんですね。
授業中とかずっと窓の外をみていたひといましたよね。わたしもだけれど。それが〈意識の逸脱〉です。〈集中力の散佚〉といってもいいかもしれない。
たとえば永井さんの歌なんですが、「会わなくても元気だったらいいけどな」と発話したあとにそのままその発話を深めないで、ふっと逸れて「水たまり雨粒でいそがしい」と外へと意識が漏れていく。
もちろんこの「雨粒」の「いそがし」さって「元気だったらいいけどな」という今は会えない感じとの象徴的な掛け合いがなされていると読むことはできますよね。
ただそうした内容を汲み取るのはひとまず置いておいて、形式的には〈意識の逸脱〉が定型によってパッケージングされているのが短歌のダイナミクスなんだと言うことができるんじゃないかと思うんですよ。
どれだけ集中力がなくても定型がカバーしてくれる。といよりは、集中力がないことが詩的なエネルギーとして昇華されるふしぎな表現形態が短歌なんじゃないかと。
意外な取り合わせが意外な詩的効果をうむこともできる「二物衝撃」ってありますよね。でもこれも別のいいかたをすれば、〈意識の逸脱〉、〈集中力の加速度的減衰〉によって別のことを考えること、授業中なんとなく授業をききながらも窓から青空をみあげることに近いんじゃないかとおもうんですよ。
集中力がなくなることが、逆に、定型内では詩的集中力を高めていく。短歌ってそういう不思議なことが起こっているんじゃないかとおもうんです。授業中に描いた落書きだけがなぜかいつも最高傑作になるように。
櫓(やぐら)から落ちて死ぬなんて変な映画だったと寝る時ふたたび思う 永井祐
ルメット『オリエント急行殺人事件』(1974)。ちょっと短歌と殺人事件って似ていて、どちらも密室=定型でおきる〈散佚した意識〉の物語なんですね。で、それを探偵=読み手が整理・統合し、解決=解釈していくという手順がある。そしてふたをあけてみたら、言葉の、動詞の、助詞の、句読点のすべてが〈犯罪者〉だったということもあるわけです。あらゆる階層/人種の人間が詰め込まれた〈オリエント急行〉のように、あらゆる階層/カラーの言葉が詰め込まれても定型はみごとにパッケージングしてしまう。そして、探偵(あなた)がやってくる。
A×B→C、の形を近代の文芸用語では「二物衝撃」という。昔の言葉では取り合わせ・配合。発句で切れ字や切れを使うと取り合わせ、二物衝撃的になるのだ。 普川素床『文芸オクトパス』
【授業中の落書きはすべて短歌になる】
さいきん短歌について考えていたときに、短歌って〈意識の逸脱〉とけっこう関係があるんじゃないかなって思ったんですね。
授業中とかずっと窓の外をみていたひといましたよね。わたしもだけれど。それが〈意識の逸脱〉です。〈集中力の散佚〉といってもいいかもしれない。
たとえば永井さんの歌なんですが、「会わなくても元気だったらいいけどな」と発話したあとにそのままその発話を深めないで、ふっと逸れて「水たまり雨粒でいそがしい」と外へと意識が漏れていく。
もちろんこの「雨粒」の「いそがし」さって「元気だったらいいけどな」という今は会えない感じとの象徴的な掛け合いがなされていると読むことはできますよね。
ただそうした内容を汲み取るのはひとまず置いておいて、形式的には〈意識の逸脱〉が定型によってパッケージングされているのが短歌のダイナミクスなんだと言うことができるんじゃないかと思うんですよ。
どれだけ集中力がなくても定型がカバーしてくれる。といよりは、集中力がないことが詩的なエネルギーとして昇華されるふしぎな表現形態が短歌なんじゃないかと。
意外な取り合わせが意外な詩的効果をうむこともできる「二物衝撃」ってありますよね。でもこれも別のいいかたをすれば、〈意識の逸脱〉、〈集中力の加速度的減衰〉によって別のことを考えること、授業中なんとなく授業をききながらも窓から青空をみあげることに近いんじゃないかとおもうんですよ。
集中力がなくなることが、逆に、定型内では詩的集中力を高めていく。短歌ってそういう不思議なことが起こっているんじゃないかとおもうんです。授業中に描いた落書きだけがなぜかいつも最高傑作になるように。
櫓(やぐら)から落ちて死ぬなんて変な映画だったと寝る時ふたたび思う 永井祐
ルメット『オリエント急行殺人事件』(1974)。ちょっと短歌と殺人事件って似ていて、どちらも密室=定型でおきる〈散佚した意識〉の物語なんですね。で、それを探偵=読み手が整理・統合し、解決=解釈していくという手順がある。そしてふたをあけてみたら、言葉の、動詞の、助詞の、句読点のすべてが〈犯罪者〉だったということもあるわけです。あらゆる階層/人種の人間が詰め込まれた〈オリエント急行〉のように、あらゆる階層/カラーの言葉が詰め込まれても定型はみごとにパッケージングしてしまう。そして、探偵(あなた)がやってくる。
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