【あとがき】筑紫磐井『伝統の探求〈題詠文学論〉』のあとがき
- 2016/01/25
- 12:40
私は「前衛」と「伝統」は対概念であると思っている。
「前衛」が見えなくなると「伝統」も見えなくなる。
こうして考察して得た私の前提は、①「伝統」は虚子から始まる、②「伝統」は句会から始まる、というものであった。
そうして進めた究明の結果、俳句の伝統・本質は「題詠文学」であると結論づけた。
だから近代以降の俳句史は、伝統(題詠文学)と反伝統(題詠文学からの離脱)のせめぎあいにより形成される。昔も今も、こうした原理が俳句を突き動かしているのである。
筑紫磐井「あとがき」『伝統の探求〈題詠文学論〉』
「前衛」が見えなくなると「伝統」も見えなくなる。
こうして考察して得た私の前提は、①「伝統」は虚子から始まる、②「伝統」は句会から始まる、というものであった。
そうして進めた究明の結果、俳句の伝統・本質は「題詠文学」であると結論づけた。
だから近代以降の俳句史は、伝統(題詠文学)と反伝統(題詠文学からの離脱)のせめぎあいにより形成される。昔も今も、こうした原理が俳句を突き動かしているのである。
筑紫磐井「あとがき」『伝統の探求〈題詠文学論〉』
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