【ふしぎな川柳 第六十八夜】出会わないことはむずかしかった-山口亜都子-
- 2016/01/28
- 13:30
遠雷や会わない奇跡会う奇跡 山口亜都子
【あなたに出会わずにいることの難しさ】
〈出会い〉の難しさというか、〈出会えない〉ことの難しさってよく言われたりすると思うんですが、むしろ逆に、〈出会わないでいることの難しさ〉ってあるのかなって思ったりすることがあるんです。どうやっても、ぜったいに、〈出会ってしまう〉。
どういうルートを通っても、どう生きていこうとしても、そのひとに出会ってしまう。その本にであってしまう。そのことばに出会ってしまう。あなたに出会ってしまう。
そういうことってあるのかなとおもって。
亜都子さんの句はその意味で、〈出会い〉を相対化してるとおもうんですよね。「会う奇跡」だけじゃなくて、「会わない奇跡」もある。なぜなら、ぜったいに出会ってしまうような、〈用意されている出会い〉もあるから。「遠」くの「雷」のようにどこかひとごとで・でもひとごとにならないもの。
出会いってさまざまなレベルでやってくるとおもうんですね。たとえば教室の先生が学期ごとに交代するみたいに、〈先生〉という役割をもったひとがそのつどそのつど人生のさまざまなときに応じてあらわれたりすることがありますよね。それって〈だれだれ〉に出会っていると同時に、〈先生〉というひとつの巨大な流れというかいっぽんの時間にもであっているとおもうんですよ。で、そういういっぽんの大きな時間の流れからひとはなかなか逃れられないんじゃないか、というよりも、生きるっていうのはそういう大きな時間の流れをじぶんでひきうけていかざるをえないことをわかってしまうことなんじゃないかって思うんですよね。
だから、にげてもよけても出会いはやってくる。
わたしはよく思うんだけれど、〈会える〉ひとにはどうあったってどう生きたって〈会える〉んじゃないかとおもうんですよ。
というよりも、〈会える〉ひとに対してむしろ〈出会わない〉でいるほうがむずかしいんじゃないかともおもうんです。
だから、「会わない」のも「奇跡」です。会っちゃうんでね。
入口は出口に変わる飛び出そう 山口亜都子
タナダユキ『百万円と苦虫女』(2008)。この映画のラストシーンってたぶん「会わない奇跡」なんだとおもうんですね。映画って「会わない奇跡」を描ける時間芸術なのかなあとも思うんですよ。彼はここにいて、彼女はここにいたのに、それは映画だけしか知らなかったっていう。ふたりはおなじ〈ここ〉にいたのに、映画はべつべつの〈ここ〉を発見してしまった。あの映画『クレイマー、クレイマー』のラストのエレベーターが閉まるしゅんかんの夫婦のありかたも「会わない奇跡会う奇跡」だとおもうんですよ。
【あなたに出会わずにいることの難しさ】
〈出会い〉の難しさというか、〈出会えない〉ことの難しさってよく言われたりすると思うんですが、むしろ逆に、〈出会わないでいることの難しさ〉ってあるのかなって思ったりすることがあるんです。どうやっても、ぜったいに、〈出会ってしまう〉。
どういうルートを通っても、どう生きていこうとしても、そのひとに出会ってしまう。その本にであってしまう。そのことばに出会ってしまう。あなたに出会ってしまう。
そういうことってあるのかなとおもって。
亜都子さんの句はその意味で、〈出会い〉を相対化してるとおもうんですよね。「会う奇跡」だけじゃなくて、「会わない奇跡」もある。なぜなら、ぜったいに出会ってしまうような、〈用意されている出会い〉もあるから。「遠」くの「雷」のようにどこかひとごとで・でもひとごとにならないもの。
出会いってさまざまなレベルでやってくるとおもうんですね。たとえば教室の先生が学期ごとに交代するみたいに、〈先生〉という役割をもったひとがそのつどそのつど人生のさまざまなときに応じてあらわれたりすることがありますよね。それって〈だれだれ〉に出会っていると同時に、〈先生〉というひとつの巨大な流れというかいっぽんの時間にもであっているとおもうんですよ。で、そういういっぽんの大きな時間の流れからひとはなかなか逃れられないんじゃないか、というよりも、生きるっていうのはそういう大きな時間の流れをじぶんでひきうけていかざるをえないことをわかってしまうことなんじゃないかって思うんですよね。
だから、にげてもよけても出会いはやってくる。
わたしはよく思うんだけれど、〈会える〉ひとにはどうあったってどう生きたって〈会える〉んじゃないかとおもうんですよ。
というよりも、〈会える〉ひとに対してむしろ〈出会わない〉でいるほうがむずかしいんじゃないかともおもうんです。
だから、「会わない」のも「奇跡」です。会っちゃうんでね。
入口は出口に変わる飛び出そう 山口亜都子
タナダユキ『百万円と苦虫女』(2008)。この映画のラストシーンってたぶん「会わない奇跡」なんだとおもうんですね。映画って「会わない奇跡」を描ける時間芸術なのかなあとも思うんですよ。彼はここにいて、彼女はここにいたのに、それは映画だけしか知らなかったっていう。ふたりはおなじ〈ここ〉にいたのに、映画はべつべつの〈ここ〉を発見してしまった。あの映画『クレイマー、クレイマー』のラストのエレベーターが閉まるしゅんかんの夫婦のありかたも「会わない奇跡会う奇跡」だとおもうんですよ。
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